Jをめぐる冒険BACK NUMBER
オシム通訳・千田善はなぜ一度だけ勝手に言葉を変えたのか? 数日後に気づいた“とんでもないミス”「オシムさんが本当に言いたかったのは…」
posted2022/11/20 11:02
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Toshiya Kondo
高校時代までサッカーに明け暮れた千田善は、大学卒業後にユーゴスラビアに渡り、ジャーナリストとして長く彼の地で生活をした経歴がある。
ベオグラードに住んでいた千田の楽しみと言えば、週末のサッカー観戦だった。千田の関心を引いたのは、サラエボを本拠地とするジェリェズニチャル。ダイレクトパスが面白いように繋がり、人が湧き出てくるような魅力的なサッカーを繰り広げていた。
このチームを率いるイビチャ・オシムが約20年後にジェフ市原(現千葉)の監督として来日することも、その後、日本代表監督となることも、夢にも思わなかった。
もちろん、その通訳を自身が務める未来が待っていることも――。
通訳に関して言えば、オシムが日本代表監督に就任する当日になっても、想像していなかった。千田は2006年7月21日の就任会見を、いちファンとして胸を高鳴らせながらテレビで見ていたのだ。
ところが、思わぬオファーが届く。
ベオグラードでセミプロ経験を持つ2人の通訳がピッチでオシムをサポートすることになっていたが、それとは別に、会見やミーティングでの通訳を日本サッカー協会は探していた。そして、オシム家と共通の友人だったボスニア人が、千田のことをアシマ夫人に話したのである。
「それで僕に声が掛かって、面接をすることになった。JFAに行ったらミーティングルームに通されて、そこにオシムさんやコーチングスタッフの方々がいたんです。スカウティングの和田(一郎)さん、技術委員長の小野(剛)さんたちもいらっしゃって、『これからミーティングを始めます』と。面接はなくて、採用が決まっていたんです(笑)」
「なぜ、阿部や遠藤を呼べないんだ」
7月25日に行われた最初のスタッフミーティングでは、いきなりオシム節が全開だった。8月9日に予定される初陣のトリニダード・トバゴ戦は、A3チャンピオンズカップと日程が重なっていて、そこに参加するジェフやガンバ大阪の選手を招集することができない。
「そこに不満をもらしたんです。なぜ、監督になる前から試合が決まっているんだ、なぜ、阿部(勇樹)や遠藤(保仁)を呼べないんだ、と。激怒したわけではなく、ぼやきですね(笑)」
また、7月18日の川淵三郎会長との会談内で語った「古い井戸に水が残っているのに、新しい井戸を掘るのはどうか」という持論を、ジーコジャパン時代の代表候補の名簿を見ながら、ここでも展開したという。
その後のオシムジャパンを見れば、この言葉を額面通りに受け取ってはならないことが分かるだろう。オシムは新しいメンバーを次々と発掘していくからだ。
「あれは、ジーコジャパンが全否定されないように気を遣っただけで、実際には、古い井戸の水も使いながら、新しい井戸も掘りますよ、という意味だったんです」