Jをめぐる冒険BACK NUMBER
オシム通訳・千田善はなぜ一度だけ勝手に言葉を変えたのか? 数日後に気づいた“とんでもないミス”「オシムさんが本当に言いたかったのは…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byToshiya Kondo
posted2022/11/20 11:02
イビチャ・オシムのそばでたくさんの言葉を聞き、選手たちに伝え続けた千田善氏
メンバー発表のすったもんだは、8月16日に新潟で組まれていたイエメン戦でも続いた。
13日から新潟で合宿が始まるにもかかわらず、メンバーは12日の夜に発表されたのだ。
「12日の土曜はオシムさんと一緒に等々力陸上競技場の試合を見に行ったんです。その帰り、最寄駅のカフェに入って緊急ミーティングをしました。各地の視察スタッフと連絡をとり合って、ああだ、こうだやっているうちに23時になって、閉店の時間だと追い出されたのを覚えています(苦笑)」
土曜の夜に発表されて、翌日集合とは、選手たちも大変だったことだろう。
「この時期はお盆だから、新幹線や飛行機のチケットが取れないんですね。でも、オシムさんは『来たくないやつだと見なす。車を運転してでも来い』と(笑)。それは半分冗談ですけど、直前まで選手のプレーを見て、調子の良い選手を呼ぶ。事前にクラブの監督に連絡して、この選手を呼んでいいかとか、いろいろ聞く。だから、ぎりぎりになってしまうんです」
「日本で一番うまい選手だと言ってました」
このイエメン戦から、ジェフとガンバの選手を呼べるようになった。ジェフからは阿部、羽生直剛、佐藤勇人、巻誠一郎といったオシム門下生が名を連ねる一方で、ガンバからは遠藤と加地亮が選出された。
ドイツW杯に参加したものの、フィールドプレーヤーで唯一出場機会のなかった遠藤を、オシムはチームの中心に据える構想を抱いていた。
「オシムさんは日本で一番うまい選手だと言ってました。ボール扱いがいいし、戦術眼もあるし、よく走ると。遠藤に走るイメージはなかったかもしれませんが、オシムさんは『遠藤は足は速くないけど、走っている。Jリーグの試合を見れば分かる』と」
とはいえ、ガンバでも日本代表でもボランチとしてプレーしていた遠藤を、オシムは頑なに2列目で起用した。
「それは守備が下手だからだと(笑)。『下手なんだから、自陣のペナルティエリアまで戻らなくていい』と本人にも言っていましたね。『お前がそこまで戻ってくると、他の選手が安心して抜かれてしまうだろ』と。遠藤が素晴らしいのは攻撃面だから、その能力をもっと高い位置で発揮させたかったんでしょうね。その後、(ガンバの監督だった)西野朗さんもヤット(遠藤)を前のほうで使うようになりましたよね? オシムさんの起用法に感化されたのかもしれません(笑)」
06年8月に発足したオシムジャパンは11月にホームでサウジアラビアを3-1と下し、06年の活動を終えた。その間の7試合で闘莉王や鈴木、中村憲剛、播戸竜二、我那覇和樹……と新しい井戸を掘り続けた一方で、古い井戸の水の代表格である欧州組を誰ひとりとして招集しなかった。
そこには、オシムの明確な考えがあった。
(つづく)
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