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オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」

posted2022/11/20 11:03

 
オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」<Number Web> photograph by AFLO SPORT

志半ばで病に倒れたイビチャ・オシム。千田通訳はリハビリに付き添いながら夢の続きを聞いている

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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11月20日、イビチャ・オシムさんの追悼試合が開催される。日本サッカーに多大な功績を残した智将の残像を千田善通訳と中村俊輔の言葉から紐解く(全3回の2回目/#3は中村俊輔インタビュー)。

 2007年2月15日から始まったオシムジャパンの千葉合宿に、日本代表のジャージーを久しぶりに身にまとう男の姿があった。

 日本屈指のセンターバック、中澤佑二である。

 ドイツW杯終了後、自身のコンディションとメンタルを整えるために代表チームを離れた男が、約半年ぶりに戻ってきたのだ。

 中澤の代表復帰は、監督を務めるイビチャ・オシムたっての希望だった。通訳を務めた千田善が指揮官の様子を振り返る。

「06年10月か11月のスタッフミーティングで、オシムさんが『中澤はもう代表に呼んではいけないのか』と言って。あるスタッフが『いけないことはないんですけど、本人は代表は引退と言っているようです』と答えると、オシムさんが『そうか、もったいないな』と。それで『じゃあ、私が話を聞いてきますよ。代表引退なんて100年早いと伝えてきましょうか』という話になったんです。年が明けて、『呼んだら来てくれるか』と再度打診したら、『もう喜んで』といい返事がもらえて」

 W杯が終わって半年が経ち、中澤自身のコンディションとメンタルも回復したのだろう。こうして中澤は再びW杯を目指すことになる。

「なんだ、あの態度は」別人に変貌した中澤

 1999年に代表初キャップを刻み、06年ドイツW杯のピッチに立ったとはいえ、オシムジャパンにおいては新参者である。ましてや一度は引退を決意しながら代表チームに戻ってきたことに照れもあったのだろう。中澤はこの合宿で年下の選手たちに対し、「教えてください」とペコペコ頭を下げたり、ちょっとはしゃいだような態度を見せていた。

 だが、そうした中澤の姿勢がオシムの目には不真面目に映ったようだ。「なんだ、あの態度は。来たからにはリーダーになってもらわないと困るんだ」とスタッフに苦言を漏らした。

 その後、Jリーグが開幕し、地方の試合を視察に行った代表スタッフが、新幹線の同じ車両に横浜F・マリノスのコーチと乗り合わせた。

「それで『そう言えば、オシムさんがこの前、中澤についてこんなふうに言っていたよ』と話すと、中澤に伝わったんでしょう。3月のペルー戦では別人のようでした」
 
 そのペルー戦では、ついに欧州組が初めて招集された。

【次ページ】 中村俊輔と高原直泰の招集

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