Jをめぐる冒険BACK NUMBER
オシム通訳・千田善はなぜ一度だけ勝手に言葉を変えたのか? 数日後に気づいた“とんでもないミス”「オシムさんが本当に言いたかったのは…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byToshiya Kondo
posted2022/11/20 11:02
イビチャ・オシムのそばでたくさんの言葉を聞き、選手たちに伝え続けた千田善氏
初陣に招集できないのは、ジェフ・ガンバ勢だけではなかった。同時期に反町康治監督率いるU-21日本代表の親善試合も組まれていて、その選手たちも呼べないのだから、オシムが不満を表明したのも無理はない。
すったもんだの末、8月1日に予定されていた初戦のメンバー発表は2度延期され、4日に発表されることになった。
さらに当日、驚くべき事態が起きる。
メンバーが13人しか発表されなかったのである。
「しかも、直前までミーティングをやっていたので、メンバー表をプリントする時間もなかった。たしかオシムさんは『全体のメンバーは頭の中にあるが、最後の数人はペンディングして、今決まっている13人だけ発表してください』と。メンバーも自分で発表せず、専務理事の田嶋(幸三)さんにリストを読み上げてもらいました」
翌5日には5人が追加招集されるから、4日に発表できないこともなかったはずだ。オシムなりの不満表明だったのだろう。
ギドに推薦された“水を運ぶ人”鈴木啓太
この追加招集の5人(のちに青山直晃がさらに追加)の中に、鈴木啓太の名前があった。
理解力と吸収力の高い鈴木は、オシムの難解なトレーニングをこなしながら力を伸ばし、「水を運ぶ人」として重宝がられ、「新しい井戸の水」の代表格となる。
オシムジャパンはトリニダード・トバゴ戦から07年10月のエジプト戦まで通算20試合をこなしたが、そのすべてに出場したのは鈴木だけだ。
これほど重用される選手がなぜ、追加招集だったのか。
そこには当時、浦和レッズを率いていたギド・ブッフバルトからの推薦があった。
「トリニダード・トバゴ戦で(田中マルクス)闘莉王、坪井(慶介)、長谷部(誠)、(田中)達也、アレックス(三都主アレサンドロ)、山岸(範宏)らを招集することにしたんですが、ギドが『うちの選手をそれだけ呼ぶなら、啓太も試してくれないか。彼がいるからうちは機能しているんだ』というようなことを言ったそうです。オシムさんから、そう聞きました」
スタメンを明かさないまま国立へ
オシムスタイルに困惑させられたのは、コーチングスタッフや日本サッカー協会の人間だけではない。
8月6日の合宿初日にはいきなり大学生との練習試合が組まれた。オシムは試合前にメンバー構成だけを伝え、フォーメーションやポジションの指示は一切しなかった。
自分たちで考え、話し合って決めろ――、というわけである。
闘莉王が「トリニダード・トバゴ戦では、3バックですか、4バックですか」と訊ねると、「相手に合わせる可能性がある。臨機応変にやれ」とオシムは言った。
さらに異例だったのは、試合当日にホテルで行われる直前ミーティングである。先発メンバーが発表されないままミーティングが終了したのだ。選手たちは誰がスタメンか分からないまま国立競技場に乗り込み、ピッチでウォーミングアップを行った。
練習を終え、ロッカールームに戻ってくると、ホワイトボードに先発メンバーの名前が書き込まれていた。だが、そこでもフォーメーションやポジションの指示はない――。
「これは、最後まで続きました(笑)。でも、選手やスタッフもそのうちオシムさんのやり方に慣れて、前日練習でだいたいスタメンが誰か分かるようになりましたね」