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「グラウンドで亡くなることもいとわない」選手権6度優勝、帝京元監督・古沼貞雄83歳が今も出張指導を続ける理由「どうしようもなくサッカーが好きなんです」
posted2022/09/03 17:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Yuki Suenaga
今年4月で83歳を迎えた古沼貞雄さんだが、どれだけ齢を重ねても高校サッカーに注ぐ情熱は変わっていない。集合場所の東京都江戸川区の一之江駅で取材班を乗せると、自らハンドルを握り、白いプリウスがスムーズに発進していく。挨拶もそこそこに今夏のインターハイの話が止まらず、行きつけのベーカリーレストランに到着するまでの5分はあっという間に過ぎた。1965年から2003年まで帝京高校を率い、全国高校サッカー選手権で戦後最多タイとなる6度の優勝を経験した名将は、いまも“現役”なのだ。週末になると、アドバイザーを務める栃木の矢板中央高校まで車を一人で運転し、片道180kmの距離を高速道路で2時間15分ほどかけて駆けつけるという。
「高校生と会うのが楽しみ」アドバイザーとして現役を貫く
「最近は日帰りで試合にしか行けないんですけどね。2年ほど前に女房の具合が悪くなり、泊まり込みで行けなくなって……。練習は指導できていないのですが、試合前後のミーティングで話したりはします」
自身の体も無理が利かなくなりつつあることは自覚している。朝起きると、節々に痛みを覚えることもある。それでも、気がつけば、体を突き動かされている。
「どうしようもなく、サッカーが好きなんですよ。いつまで経っても、高校生と会うのが楽しみで」
毎月の高速代は7万円から8万円
80歳を過ぎてもなお、アドバイザーを兼ねた特別コーチとして、全国各地を飛び回っていた。
月初めの木曜日の昼、羽田空港から熊本空港まで移動し、帝京時代の教え子である平岡和徳が監督を務める大津高校へ。放課後の練習開始前にはグラウンドに立っていた。3泊4日で滞在し、日曜日の試合を最後まで見届けてから夜の飛行機で東京に戻ってくる。翌日休むと、すぐにまた活動。火曜日から木曜日の朝練習まで泊まり込みで栃木の矢板中央高校で指導し、そのまま東京には戻らずに新潟の帝京長岡高校へ。木曜日の夕方から練習を見て、日曜日の試合まではずっと付きっきりだ。移動はほとんど自家用車。一人でアクセルを踏み、どこへでも足を運んだ。
「毎月の高速代は7万円から8万円はかかっていましたね。1カ月の走行距離は、かなりものでしたよ」
「また僕にダイレクト・シュートを教えてくださいよ」
70代は毎月、目の回るような忙しいサイクルで指導。車で新潟と栃木を行き来しながら、大津高校にも月2回は出向き、笛を吹いた。教え子には、現在もJリーグの一線で活躍している選手たちは数多いる。それでも、いまの高校生たちに過去に指導した選手の名前を挙げるようなことはしない。
2021年12月5日、等々力陸上競技場で開催された高円宮杯JFA U-18プリンスリーグ2021関東の最終節。矢板中央高校のアドバイザーとして、川崎F U-18戦に同行したときのことだ。試合後、選手たちが力負けして、ロッカールームで沈み込んでいるところに、快活な男がすっと入ってきた。
「古沼先生、しばらくです。元気にしていますか。また僕にダイレクト・シュートを教えてくださいよ」