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江川卓17歳の剛速球「あんなボール、頭に当たったら死にますね」達川光男が戦慄…「打球が前に飛ばん」「速すぎてバントもできん」広島商の“奇策”

posted2025/03/30 11:03

 
江川卓17歳の剛速球「あんなボール、頭に当たったら死にますね」達川光男が戦慄…「打球が前に飛ばん」「速すぎてバントもできん」広島商の“奇策”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1973年春、初めて甲子園のマウンドに立った怪物・江川卓

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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JIJI PRESS

およそ半世紀前の1973年、作新学院の江川卓(当時17歳)が初めて甲子園のマウンドに上がった。バットにボールを当てることすら困難な規格外のピッチング――「攻略不可能」と思われていた怪物投手は、なぜ準決勝で広島商に敗れたのか? 関係者の証言から、「江川が負けた日」の内幕を掘り下げていく。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

江川卓「甲子園初登板」の衝撃

「怪物」が衝撃的な甲子園デビューを飾ったのは1973年春だった。開会式直後、第1試合のマウンドに上がると、その剛速球で三振の山を築く。相手打者は、バットにボールを当てることすらできない。

 作新学院(栃木)の江川卓――。ついにベールを脱いだ剛腕投手は、噂に違わない「怪物」だった。

 1973年3月27日、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)。第45回選抜高校野球大会の開幕試合だった。作新学院の相手は、北陽(現・関大北陽=大阪)。前年秋の近畿大会で準優勝し、「西の横綱」と前評判が高いチームだった。

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 のちに新聞記者となり、同年齢の江川を取材することになる西村欣也は、当時大阪府在住の高校生で、この試合を外野席で観戦したという。

「同級生なのに、すごい投手が栃木にいるというんで、なんぼのもんか、見に行ったんだよ」と生前、よく語っていた。

 そのピッチングは、想像をはるかに超える迫力だった。

 1回表、北陽の上位打線から、いきなり三者連続三振を奪う。出場30校中トップのチーム打率.336を誇る北陽打線のバットにボールが当たらない。かすりもしない。

「1球ごとに、どよめきが起きる。スタンド全体がざわめいたんだ」

 2回、エースで5番打者の有田二三男が一塁側にファウルを打った。

「プレーボールから23球目だよ。初めてバットにボールが当たった。それだけで、またどよめきが起こり、拍手が起きた。ファウルだよ。ファウルを打っただけで、拍手が沸き起こったんだ」

 西村は興奮気味に語ったものだ。

【次ページ】 「あんなボール、頭に当たったら死にますね」

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