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青学大と広がる差「大迫君以来、早稲田卒の日本代表がいない」強かった“あの頃”の早稲田大を知る花田勝彦はシード落ちの母校を救えるか?

posted2022/06/04 17:04

 
青学大と広がる差「大迫君以来、早稲田卒の日本代表がいない」強かった“あの頃”の早稲田大を知る花田勝彦はシード落ちの母校を救えるか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1993年の箱根駅伝4区、区間新を出した早稲田大の花田勝彦。早稲田はこの年、総合優勝。その花田が駅伝監督として母校に帰ってきた

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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 6月2日、早稲田大学本部構内で花田勝彦氏の駅伝監督就任会見が行われた。

 花田監督は1994年早大卒。アトランタ、シドニー両オリンピックの代表で、シドニー大会では10000mで予選を通過、決勝では15位に入っている。5000mの自己ベスト、13分23秒49は厚底シューズが存在しない時代においては、驚異的なタイムだった。

 現役引退後は上武大学、GMOインターネットグループ・アスリーツの監督などを務め、今回、監督として母校に戻ってくることになった。

 このところ、早稲田は駅伝での歯車が噛み合わない状態が続いている。

 早稲田が出雲、全日本、箱根の「三冠」を達成したのは2010年度のこと。それ以来、駅伝では優勝から遠ざかり、2022年の箱根駅伝では13位とシード権を逃したことで、早稲田には変革を望む空気が満ちていた。

 そこで白羽の矢が立ったのが花田氏である。就任の経緯を花田氏はこう話す。

「恩師である瀬古(利彦)さんから、『いま、早稲田の相楽(豊)監督が苦労している。一緒に練習に行かないか』という話をいただき、時間があればサポートしたいと思っていましたが、正式に指導に当たらせていただくことになりました」

 久しぶりに早稲田に帰ってきて、

「水が合うというか、故郷に戻ってきたような感じです」

 というあたり、母校への思いがにじみ出る。

青学大との選手層の差

 昨今の学生長距離界は、外部からの駅伝への期待が膨らみすぎており、トラックとのバランスが崩れている。競走部だけでなく、大学の卒業生からも駅伝での躍進を望む声は大きいが、花田監督としては「強い個人」を育てることに注力したいと話す。

「三大駅伝の優勝を目指していくとして、大迫君(傑・2014年卒)以来、早稲田卒の選手で日本代表が出ていません。代表を出していくのは早稲田の使命だと考えていますので、そこは取り組んでいきたいと思います」

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