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「ファイトマネーは3000円」「時給430円でバイトを…」あのアイドルレスラーが明かす、新人時代の“リアルな給与事情”…福岡晶が語るジャパン女子プロレス
posted2025/04/16 11:00

ジャパン女子プロレス、JWPで活躍したアイドルレスラー・福岡晶のインタビュー(第1回)
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)Shiro Miyake、R)東京スポーツ新聞社
現在は「PURE-J」という女子プロレス団体はかつて「JWP」を名乗り、老舗の全日本女子プロレス興業(以下、全女)に次ぐ業界No.2だった。ビジュアル抜群のキューティー鈴木や尾崎魔弓、ストロング志向だったダイナマイト関西や“レジェンド”デビル雅美ほか、少数精鋭ながらも目の肥えたプロレスファンを満足させた。
そんなJWPで、目を見張る身体能力と愛されるルックスでトップに上り詰めたのが福岡晶。デビューは、JWPの前身団体であるジャパン女子プロレス(1992年に解散)の4期生。99年の引退後は地元・秋田県で結婚生活を送る愛称・ひーちゃんを、“美の国あきた”で取材した。
◆◆◆
憧れたJBエンジェルス
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福岡 小学3年生になる前にテレビで全日本プロレスを観て、5、6年生になったときにはもう、「プロレスラーになりたい!」っていう気持ちが固まってました。初代タイガーマスクの動きって、すごかったでしょ。5歳から器械体操をやってて、タンブリング系は得意だったから、親に「私がプロレスラーになったらタイガーマスクよりすごいことができる!」って言ってたぐらい、自信があったんです。休日はほとんど練習や大会で、秋田にプロレスが来るなんて数えるほどだから、ようやく行けたのは中学3年生になってから。貯めたおこづかいで初めて全女を生で観て、もうJBエンジェルス(立野記代&山崎五紀)が大っ好きで! 特にのめり込んだのは、記さん。記さんの顔が大好きで、五紀さんは動きが好きでした。
――それなら、「全女に入団したい」となりそうですが。
福岡 オーディションに落ちたんです。しばらくして、ジャパン女子プロレスができたって雑誌で読んで、尾崎さんがキレイで私より小さいことに驚いて。私は高校時代はインターハイに出たほど体操だけをしていたので、「この3年間は卒業後にプロレスラーになるためだ」って自分に言い聞かせて、オーディションは我慢してて。でも、小・中・高とずっとプロレスラーになりたかったわけだから、高3の春に体操のすべてが終わったらオーディションを受けて、卒業式が3月3日に終わって、その3日後に寮に入ったんです。
デビュー当時のファイトマネーは3000円
――わずか3日間で秋田から東京へ?
福岡 そうです。八王子の高尾山のちょっと手前あたりに寮があってね、入ったその日にですよ、「おー、練習するぞー」って夜の6時半過ぎにやって来たのが大仁田(厚)さん。大仁田さんはオーディションで審査員をしていたので、知ってはいて。その日の合格者を翌日の後楽園ホールで紹介するということになったので急きょ、帰れない私のために持丸(常吉)社長がホテルをとってくれたんですね。そこまでタクシーで送ってくれたのが大仁田さんで、「おじさんはね、プロレスをやってたんだよ」って、何も知らない18(歳)の小娘に優しく話してくれました(笑)。
――自分のことを「おじさん」と。
福岡 そう、そう(笑)。そんなことがあって寮に入ったので、「えー、この人がコーチ!?」ってびっくりしちゃって(笑)。半年ぐらいはコーチでしたね。