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青学大と広がる差「大迫君以来、早稲田卒の日本代表がいない」強かった“あの頃”の早稲田大を知る花田勝彦はシード落ちの母校を救えるか? 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/06/04 17:04

青学大と広がる差「大迫君以来、早稲田卒の日本代表がいない」強かった“あの頃”の早稲田大を知る花田勝彦はシード落ちの母校を救えるか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1993年の箱根駅伝4区、区間新を出した早稲田大の花田勝彦。早稲田はこの年、総合優勝。その花田が駅伝監督として母校に帰ってきた

 現状認識、課題抽出、方法論=練習計画立案、それぞれにスキルが必要だが、すべてのフェイズにおいて見直しが成されるだろう。

 早稲田の場合、その歴史、実績ゆえに「三大駅伝優勝」など、目標は高く設定される。それが選手たちの力を伸ばす原動力にもなるが、一方では目標に到達できない場合は、「気持ちのデフレ」が起きてしまうこともある。

 まずは、花田監督と学生との間でのすり合わせが重要な課題となるだろう。

 また、中長期的な課題としては、リクルーティングが挙げられる。

 現状、高校生の獲得競争は運動部の枠を超えた学校間の競争となっている面もあり、早稲田がリクルーティングで苦戦しているのはやむを得ない面もある。そのなかで花田監督は、「早稲田で走りたいという熱を持った学生に来て欲しいと思います」と話す。

 かつて、美しい彦根城内にある彦根東高校の生徒だった花田青年は、瀬古氏から勧誘を受け、都の西北を目指し、日本代表のランナーへと成長した。

 勧誘とは「縁」だ。

 いま、日本のどこかで走っている高校生、中学生が同じように花田監督との縁を結び、早稲田の門を叩くだろう。

 2022年、花田勝彦監督のもとで、早稲田の再生はスタートする。

 その変化を見届けたいと思う。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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