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24年前に消えたあの「巨人軍の多摩川グラウンド」、今は何がある? ジャイアンツの選手に恋した“多摩川ギャル”を知っていますか? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byKYODO

posted2022/02/08 11:01

24年前に消えたあの「巨人軍の多摩川グラウンド」、今は何がある? ジャイアンツの選手に恋した“多摩川ギャル”を知っていますか?<Number Web> photograph by KYODO

写真は1969年の2月キャンプ。多摩川グラウンドで練習する巨人の長嶋茂雄(左)と王貞治

 A・Bふたつのグラウンドのうち、上流側にあったA面を巨人軍が使っていたのだとか。ということは、長嶋や王が練習をしているすぐ横で草野球をしていた人がいたのかも。いやあ、とんでもないですねえ。「オレ、今日スカウトされるかもな、ははは」なんて笑っているおじさんとか、いたのだろうか。

 といっても、すでに書いたとおり1998年には巨人軍のグラウンドでなくなっていて、いまは正しくは「多摩川緑地広場硬式野球場」という。巨人軍が国から借り受けていた敷地を返還したあとは大田区に移管されて、同区と世田谷区の管理下にある河川敷の野球場というわけだ。

 いまでは草野球だったり学生たちの練習だったりで使われている。さすが元巨人軍のグラウンドだけあって(関係あるかどうかはわからないが)、硬式野球場なので使う場面はちょっと限られるかもしれない。訪れた時には、高校生か中学生か、その年頃の男子たちが練習をしていた。巨人軍のグラウンドだったんだぞ、と教えたくもなるが、このあたりに住んでいる少年ならばきっと知っているだろう。

 元巨人軍のグラウンドよりもさらに上流側にはサッカー場や軟式野球ができる草野球場、テニスコートなどが続いていて、これらも含めて多摩川緑地広場ということになっている。土手の向こうには巨人軍グラウンド時代からあって選手たちも通ったとして有名な商店(小池商店)がある。

 土手の上に立って河川敷のグラウンドを見下ろすと、巨人軍の練習場だったとはおよそ想像できない。日本全国、どこにでもあるただの河川敷のグラウンド。でも、そこにあるのはまちがいなく歴史を刻んだグラウンドなのだ。

帰り道に……え、古墳?

 というわけで、ひとしきり河川敷を歩いて多摩川駅への帰り道。また土手の道をとぼとぼと歩く。ずっと多摩川沿いなのだが、多摩川の北側にはなんだか小高い山がある。標高はわからないが、河川敷と比べるとだいぶ高い。この山は何なのだろうか。多摩川台公園といって中に入れるようなので帰り道は高台の公園の中を歩いて行くことにする。

 小高い山をそのまま公園にしたようなもので、何か特別なことがあるようにも思えない。が、園内の案内図を見ると、この公園の中にはいくつもの古墳があるのだという。古墳って、奈良とか大阪とかにばかりあると思っていたが、こんな場所にもあるとはちょっと驚きである。

【次ページ】 最後に「多摩川グラウンド」を見下ろす

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