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24年前に消えたあの「巨人軍の多摩川グラウンド」、今は何がある? ジャイアンツの選手に恋した“多摩川ギャル”を知っていますか?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byKYODO
posted2022/02/08 11:01
写真は1969年の2月キャンプ。多摩川グラウンドで練習する巨人の長嶋茂雄(左)と王貞治
多摩川台公園の中にあるいくつもの古墳は荏原台古墳群という。荏原台古墳群は野毛古墳群と田園調布古墳群に分かれていて、ここは田園調布のほうだ。大小いくつもの古墳があるのだが、中核になっているのは宝莱山古墳と亀甲山古墳というふたつの前方後円墳。亀甲山古墳は全長107m、荏原台古墳群では最大の古墳だそうだ。
いろいろ説明書きがあったので読んでみると、4世紀から5世紀はじめにかけて築造されたもので、この地域を治めていた豪族の首長の墓だったのではないかということだ。歴史の教科書にあわせていうと、卑弥呼からおおよそ100~150年ほど後にあたる。
多摩川のすぐ近くということから低地なのではないかと思いがちだが、この古墳のある多摩川台公園は武蔵野台地の東の端っこ。いわゆる国分寺崖線の崖の上にあるのが多摩川台公園だ。その高台に、古代の豪族が大きな墓を築いた。もちろんその頃には巨人軍のグラウンドも武蔵小杉のタワマン街もなかったわけで、海岸線も今よりも内側にあった。遮るものが何もない多摩川の向こうには東京湾が見えたに違いない。時代が下っても、五島慶太(東急グループの創始者)がこの高台から多摩川の向こうを眺めて街づくりの構想を考えていたなどという逸話もあるようだから、あんがい重要な高台なのかもしれない。
そうして河川敷には巨人軍のグラウンドが生まれて消えて、工業地帯だった対岸の武蔵小杉にはタワマン街ができた。その先は川崎・横浜の市街地だ。高台の背後には都内屈指の高級住宅地である田園調布が控える。そんなところに眠る名もなき古代の豪族さん、どんな思いでその変貌を見てきたのだろうか。きっと、巨人ファンになったんでしょうね……。
(写真=鼠入昌史)