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三笘薫の鮮烈デビューを“健全な競争”の足がかりにできるか?「采配負け」から始まった最終予選で森保ジャパンが示した変化
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2021/11/17 17:01
決勝アシストの三笘薫をねぎらう森保監督。新戦力の活躍を受けて、ドラスティックに「序列」を見直すことはあるのだろうか
10月のサウジアラビア戦では、エルベ・ルナール監督に試合の流れを変えられた。0対0で迎えた後半、森保監督は古橋と原口元気を投入する。日本がペースをつかみかけると、64分にルナール監督が2枚替えをした。それによってまた、ピッチ上の構図が変わったのだ。
ルナール監督は0対1で迎えた86分に、2度目の2枚替えをした。後半アディショナルタイムには、5枚目の交代をしている。逃げ切るためのカードの使いかたとしては、申し分のないものだっただろう。
オーストラリア戦の決断で「第2フェーズ」へ
ひるがえって森保監督である。
事前のスカウティングに基づいて、相手のウィークポイントを効果的に突くことはできていたのか。リスタートから得点を決めていないことも含めて、事前の準備をピッチ上で読み取るのは難しかった。周到さを感じることはできなかった。
試合の流れを変える選手交代もなかった。オマーン戦と中国戦では、3人の交代にとどめた。FWの招集人数が少なかったために、大迫をフル出場させることが決定事項のようになっていた。
サウジアラビア戦では1点を追いかける5枚目の選手交代が、長友から中山だった。攻撃的なカードをベンチに残しながら、左SBを交代させた。システムと先発がパターン化され、保有戦力を使い切れないまま1勝2敗と出遅れた事実は、監督交代の必要性さえ感じさせるものだった。
サウジアラビア戦の5日後に行なわれたオーストラリア戦で勝ち点3をつかめなければ、実際に体制が変わっていたかもしれない。ここで森保監督は、フェーズを変えることに成功する。
4-3-3にシステムを変更したのだ。守田と田中をスタメンに抜てきしたのである。現在は海外のクラブに所属するふたりは、4-3-3を採用する川崎フロンターレでプレーしていた。彼らを招集していたからこそ実現できたシステム変更で、田中は前半早々に先制点を奪ってみせた。
決勝点は途中出場の浅野拓磨が生み出した。彼のシュートがオウンゴールを呼び込んだのだが、スタジアムの力もあっただろう。9月のオマーン戦はパナソニックスタジアム吹田で戦ったが、このオーストラリア戦は埼玉スタジアムだった。コロナ禍で入場数の上限が決められ、声を出しての応援はできないが、スタジアムの熱がチームを後押ししたのだった。