Sports Graphic NumberBACK NUMBER
五郎丸歩が語る早明戦の思い出「落ち葉拾いにジャージー係…身の引き締まる独特な空気感が」《ラグビー早明戦100回記念》
posted2024/11/20 15:01
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
AFLO
日本代表のゴールキッカーとして活躍、2015年のワールドカップで南アフリカを破るなど躍進に導き、独特のルーティンで人気を呼んだラグビー界のレジェンド・五郎丸歩は、早稲田大学ではFBとして1年から4年まで、すべての早明戦に背番号15のフルバックとして先発出場した。
早明戦で一番の思い出は? その問いに、五郎丸は「1年のときの早明戦ですね」と即答した。
「一番インパクトがありました。何より、国立競技場で、あの大観衆の中で試合をやるのは初めてでしたから」
早明戦ならではの緊張感
五郎丸が早大に入学したのは清宮克幸監督が就任して4年目の2004年。在学中の2007年までは対抗戦53連勝、早明戦8連勝という黄金時代のまっただ中だった。
「早稲田のFWが強い時代だったので『FWの明治 vs. BKの早稲田』というようなイメージではなかったけど、早明戦ならではの独特な空気感があって感動しました。寮にもグラウンドにも『緊張』と大書した紙が貼り出されていたし、1年生にはグラウンドの落ち葉拾いという仕事もありました。歴代の先輩方もこれを経験してきたんだなと、伝統の重さを感じながら拾いました。試合前日の練習でグラウンドに入るときは身の引き締まる思いがしました。僕たち試合のメンバーに入っている1年生は早上がりさせてもらったけど、他の1年生は遅くまで拾って、当日の練習前にも拾っていた。本当に、グラウンドに葉っぱ一枚も落ちていませんでした」
早明戦にかける思いは、試合に出るメンバーだけのものではなかった。
「Bメンバー以下も前日や前の週とかに早明戦をやるんです。みんな、早明戦に出たくて早稲田に入ってきたのに、Aの試合には出られない、その悔しい思いをグラウンドで表現している。試合が終わって泣いている先輩もいました。そういう先輩がたの姿を見て、1年から早明戦に出してもらえる自分の責任の重さを感じました」
1年生当時の五郎丸には別の仕事もあった。それは「ジャージー係」だ。早大では各背番号ごとに複数サイズのジャージーが、新品から年季ものまで数十枚がストックされていて、ジャージー係は試合ごとに、出場メンバーの体格・体型にあわせて複数枚のジャージーを用意する。
「先発する選手には前半用と後半用、予備が2枚であわせて4枚。リザーブの選手には2枚。ただ、選手によってジャージーの好みも違うんです。サイズだけじゃなく、新品が好きな人も着込んだものが好きな人もいる。それを倉庫から探し出して揃えて、全部キッチリとたたんで……たたみかたも細かく決まっているんです(笑)。そのジャージーと東伏見稲荷のお守り、お清めの塩と米。これを全部揃えることを『押し込み』と呼んでいました」
後にワールドカップをはじめ、オーストラリアやフランスなど世界のトップチームでプレーした五郎丸だが、早明戦の空気感は特別だったという。
「早明戦は……早慶戦もそうですが、学生がたくさん来るのが嬉しかったですね。盛り上がり方に特別な空気感があります。それに、早明戦の次の週に大学へ行くと、みんなに注目されているような、ヒーローになったような気がして、ちょっと嬉しかったのを覚えています。何しろ、九州から出てきたばかりで何も知らない1年生でしたからね(笑)」
憧れの『早稲田スポーツ新聞』1面
クールなスタンスで知られる五郎丸が、初めて出た早明戦で「ヒーローになったような気がした」と振り返るのは、何だかほほえましい。五郎丸は自らこんなエピソードも明かしてくれた。
「高校のとき、早稲田に進んでいた先輩の大田尾竜彦さん(現監督)が『早稲田スポーツ新聞』の1面を飾っていたのを見て『カッコいいなあ、自分も大学へ行ったらあそこを飾れるような選手になりたいなあ』と思っていたんです」