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三笘薫の鮮烈デビューを“健全な競争”の足がかりにできるか?「采配負け」から始まった最終予選で森保ジャパンが示した変化
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2021/11/17 17:01
決勝アシストの三笘薫をねぎらう森保監督。新戦力の活躍を受けて、ドラスティックに「序列」を見直すことはあるのだろうか
スコアを刻んだのは81分だった。攻から守への切り替わりで中山が左サイドの高い位置でボールを奪い取り、三笘へつなぐ。ペナルティエリア左からライナー性のクロスが供給され、右サイドからゴール前へ詰めた伊東が左足でプッシュした。伊東の2試合連続弾が、決勝ゴールとなったのである。
敵将の采配に遅れをとった最終予選の「第1フェーズ」
ここまで消化した6試合は、ふたつの局面に分けることができる。9月のオマーン戦と中国戦、10月のサウジアラビア戦の3試合が第1フェーズで、10月のオーストラリア戦以降の3試合が第2フェーズだ。
第1フェーズではメンバー編成に苦慮してきた。
9月のオマーン戦は冨安健洋と守田がチームに合流できず、南野は左足太ももの違和感で欠場した。直後の中国戦は、酒井宏樹がオーバーワークを考慮されて離脱した。現地入り後には南野がチームを離れた。
10月のサウジアラビア戦では、伊東が累積警告で出場停止だった。久保建英はクラブで負傷したために招集できず、堂安律は膝に違和感を訴えて試合前日に離脱した。
とはいえ、チーム結成から38試合を消化して最終予選を迎えたのだ。海外組の主力を招集しなかった19年のコパ・アメリカとE-1選手権を除いても、30試合を超える。さらに言えば、日本代表と五輪代表を1チーム2カテゴリーで強化してきた。ポジションごとのオプションは用意されているべきで、レギュラー格の不在は敗戦の理由にならなかっただろう。
むしろ戦いを難しくしたのは、あらゆる意味での「パターン化」だった。システムは4-2-3-1で、スタメンもほぼ変動はない。9月のオマーン戦では、所属クラブが決まらないまま招集された長友がスタメンに名を連ねた。レギュラー格の選手への厚い信頼の裏返しとして、対戦相手から読みやすいチームとなっていたのは否めない。9月のオマーン戦の敗退は、ブランコ・イバンコビッチ監督が「日本を丹念に分析した」結果であり、トップ下の鎌田大地と1トップの大迫勇也を封じられたからだった。