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《引退》玉田圭司は“2度泣いた” 南アフリカW杯、PK戦で敗れると「無表情で、一点を見据えて」、2度目はその半年後…
posted2021/11/17 11:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
JMPA
いつでもどこでも不意を突いてくるのが何ともストライカーらしい。
11月11日午前11時11分、V・ファーレン長崎からリリースが出された。チームの11番を背負ってきた玉田圭司の現役引退発表だった。
41歳、23年目のシーズンは、ここまで17試合162分という短い出場時間のなかでも2ゴールを挙げていた。テクニックは健在で、縦に抜け出してから相手GKをかわして奪ったレノファ山口戦(5月29日)のゴールはホレボレした。
まだ現役を続けるだろうと思っていたサッカーファンも少なくなかったに違いない。かくいう私もそうである。継続的に取材してきたのに、引退の気配すら感じなかった。年齢を考えれば引退は「さもありなん」なのだが、あれだけ楽しそうにプレーをする本人を観ているととても40代とは思えず、何だか30代なかばから年齢が止まっているようにさえ感じた。彼をずっと見てきた人ほど、ちょっとしたサプライズだったのではないだろうか。
最初の涙は南アフリカワールドカップだった
引退発表を受けてもまだ「さもありなん」の境地には至らない。映像で彼の過去のプレーを探していると、インパクトが大きかったゆえにその記憶が鮮烈に焼きついていることに気づかされる。アジアカップ準決勝でバーレーンを振り切った2ゴールも、ドイツワールドカップのブラジル戦でニアを射抜いたあのビューティフルゴールも。
11並び、茶目っ気たっぷりに最後は「引退」というインパクト大のゴールを決めてきた。実に鮮やかに、まばゆいばかりに。
並んだ「11」の文字を眺めていると、自然とあのときの記憶が呼び起こされる。
2010年、彼は日本代表でもそして名古屋グランパスでもこの番号を背負っていた。「11」を震わせて涙した2度の光景が今も目に浮かぶ。
最初の涙は南アフリカワールドカップだった。
この年、長く抱えていた左足首の痛みがひどくなり、痛み止めの注射は欠かせなくなっていた。そのうえ4月の強化試合セルビア戦で左大腿を打撲し、患部をかばいながらグランパスでプレーを続けていると今度は内転筋の肉離れを負った。最悪、全治1カ月以上になってしまうかもしれない、とドクターからは伝えられていた。
後になって玉田がこう教えてくれたことがある。