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「早明戦だけは別物なんだ」。ワセダ山中亮平とメイジ田村優が語る、“猛き攻防の記憶”。
posted2024/11/20 15:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Shunsuke Ida
2019年のラグビーワールドカップ日本大会。スコットランドに勝ち、ベスト8進出を決めた試合で、日本代表のSOを務めたのは明治大学出身の田村優、FBとして最後にキックを蹴り出したのは早稲田大学出身の山中亮平だった。
早明戦に4年間出場した同学年のふたりが、日本のラグビーの歴史を変えたあの日、ピッチに立っていたのだ。
あの日から遡ること12年前の2007年12月2日、田村と山中の人生は初めて交錯した。全勝対決の早明戦である。
東海大仰星高(現・東海大大阪仰星高)の司令塔として花園で優勝し、鳴り物入りで早稲田に入学した山中は、早々とSOのレギュラーポジションをつかんだ。その年の早稲田には畠山健介、五郎丸歩といったのちに日本代表の主力となる選手たちがいた。黄金期である。早明戦を前に山中は明治のトイメンに見慣れない名前を発見する。
「それが田村でした。同じ1年生で、『え、誰?』と思った記憶があります」
國學院栃木高でラグビーを始めた田村にとっては、これが対抗戦先発デビューの試合となった。なんと、紫紺のジャージを着て初めての先発が早明戦だったのだ。
「たまたまでした。先輩がケガをしたので、10番に入ることになったんです。高校からラグビーを始めてまだ4年目だったので、早明戦のすごさも何も分からないまま、あの試合に出ていた感じです」
この試合には早稲田が71-7で勝利するが、ふたりはこの2007年から2010年まで、4年連続で早明戦で相対することになった。ただ、当時のふたりには距離があった。田村からすると、山中は「憧れとまでは言いませんが、レベルの違う選手」に見えていたという。
「高校時代からスターでしたからね。大学の時から日本代表にも入っていましたし、個人的に負けたくないというよりは、一段階、二段階上の選手で、スキルや経験ではかなわないと思っていました。早稲田自体もそういうチームでしたから、その分、明治はタフさと強さで勝ちにいくという気持ちだけは持っていました」