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日本トップハードラーが“産後2年”でラグビー選手に? 女子陸上・寺田明日香が振り返る「異例の転身」のウラ側…直面した「アスリートの保活問題」

posted2024/11/22 11:02

 
日本トップハードラーが“産後2年”でラグビー選手に? 女子陸上・寺田明日香が振り返る「異例の転身」のウラ側…直面した「アスリートの保活問題」<Number Web> photograph by (L)Yuki Suenaga、(R)JIJI PRESS

23歳で陸上競技を引退後、結婚・出産を経て26歳で“まさかの”ラグビー挑戦を表明した寺田明日香。トップハードラー時代から価値観の変化があったという

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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(L)Yuki Suenaga、(R)JIJI PRESS

 女子100mハードルの第一人者・寺田明日香(34歳)とマネージャーの佐藤峻一さん(41歳)夫婦。若手ハードラーとして将来を期待された寺田は弱冠23歳で引退。その翌年に結婚して、長女を授かった。出産から2年後、寺田はアスリートとしてふたたび表舞台に出る。だが、それはトラックではなくラグビー場だった。一度は「泣いて断った」という7人制ラグビーに転向した背景とは。《NumberWeb「アスリート結婚特集」全3回の2回目/つづきを読む》

 2013年6月の日本選手権を最後に、当時23歳だった寺田明日香は陸上競技の現役引退を表明した。11年頃からは摂食障害や無月経、怪我にも悩まされ、心身ともに限界を迎えていた。

 時を同じくして、国内では2016年のリオデジャネイロ五輪の正式種目となった7人制ラグビーの強化が加速度的に進んでいた。当時、女子ラグビーの競技人口は少なく、代表選手を選ぶにあたって、他競技からの候補者を集める動きがあったのだ。

 実は寺田の夫となる佐藤峻一さんは、知人の紹介でラグビー元日本代表の吉田義人氏に出会い、日本初の7人制チーム「サムライセブン」の設立に関わっていた。

ラグビー転向を打診も…「その場で号泣された」

 また、寺田も競技と浅からぬ縁があった。元円盤投の国体選手で、リオ五輪代表の桑井亜乃は中高時代からの仲。競技に可能性を感じていた佐藤さんは、桑井と手を組んで、引退直後の寺田を引き込もうとしたという。

「3人の食事会で切り出したら、その場で号泣されてしまったんです。僕としては、彼女がせっかく陸上を頑張ってきたのに、嫌な思い出のまま終わるのはもどかしかった。チームには、110mハードルのインターハイチャンピオンの飯田(将之)も入っていたんです。彼女もラグビーに転向したらまた前向きになれるかなと思ったのですが……」(佐藤さん)

 寺田が当時を振り返る。

「絶対に無理、やりたくないって言いましたね。こんだけ病んで陸上を辞めているのに、なんでまた人前に出て評価されなきゃいけないの?って。文字通り『えーん』って大泣きして、ふたりにごめん、ごめんって謝られちゃって……(笑)」

 寺田が抱えていたトラウマは、佐藤さんの想像を超えるものだった。

 夫婦の間で、ラグビー転向の話題は“タブー”となった。

【次ページ】 結婚・出産を経て起きたスポーツへの「価値観の変化」

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