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「満男は出来上がっていた。浩二には厳しくしちゃったかな」本田泰人が懐かしむ“バチバチな鹿島の紅白戦”と相馬直樹への想い

posted2021/06/01 11:03

 
「満男は出来上がっていた。浩二には厳しくしちゃったかな」本田泰人が懐かしむ“バチバチな鹿島の紅白戦”と相馬直樹への想い<Number Web> photograph by JFA/AFLO

1999年ワールドユース準優勝の報告をする中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ケ端準

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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JFA/AFLO

引き続き、本田泰人氏の独占インタビューをお楽しみください(全3回の#3/#1#2はこちら) 

 凄いのが入ってきたな――。

 引退するジーコに代わって1994年から鹿島アントラーズの2代目キャプテンを務めていた本田泰人にそう思わせたのは、岩手の大船渡高から加入した小笠原満男である。

「あの年(98年)は、満男、モト(本山雅志)、(中田)浩二、ソガちゃん(曽ケ端準)たちが入ってきて。日本代表で一緒だったヒデ(中田英寿)とは、また違う種類の個性派というか。ただ、高卒だから欠点もあって。モトはすごく上手いんだけど線が細くて、ちょっとチャージしたら吹っ飛ぶ感じ。浩二はちょっとブヨブヨしていて、体力がなかった。でも、満男は体幹も強かったし、どこを取っても大人で、選手として出来上がっていたよね」

 79年生まれのゴールデンエイジの面々が入団してきたとき、本田は確信したという。2、3年後には再び黄金期を迎えられそうだなと。

 そして、本田の予感は現実のものとなる。

「当時の紅白戦はものすごく激しくてね。削り合いとまではいかないけど、Bチームにしてみればポジションが取れるチャンスだからバチバチで、2日後に公式戦が控えているような雰囲気ではなかった。紅白戦のほうが公式戦より激しいくらい。満男とはポジション柄よくマッチアップしたけれど、1対1でどんどん挑んでくる。俺らレギュラー組も、ポジションを守るのに必死だった」

 小笠原や中田、本山らがレギュラーを張るようになった2000年、鹿島はナビスコカップ、Jリーグ、天皇杯と全タイトルを制し、前人未踏の3冠を成し遂げる。

「鹿島イズム、ジーコスピリットが何かなんて教えたことはない。でも、そうやって俺や相馬(直樹)が示してきたことが(鈴木)隆行やヤナギ(柳沢敦)に受け継がれ、さらに満男や浩二、モトに引き継がれていって、チームの雰囲気や哲学が守られていったんだと思う」

「浩二に厳しくしすぎたかなって(苦笑)」

 もっとも、当時を振り返るとき、本田には少しばかり気になることがある。

「浩二に厳しくしすぎたかなって(苦笑)。ポジションが同じボランチということもあるんだけど、帝京の10個下の後輩なんだよね。浩二って社交的で、目上の人にも平気でタメ口で話しかけたり、イジったりして懐に入っていくタイプなんだけど、俺のところには来ないもん(苦笑)。アドバイスしたり、教えているつもりだったけど、ついつい厳しくしちゃったかなって」

【次ページ】 押し寄せる“世代交代”の波

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