Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「満男は出来上がっていた。浩二には厳しくしちゃったかな」本田泰人が懐かしむ“バチバチな鹿島の紅白戦”と相馬直樹への想い
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJFA/AFLO
posted2021/06/01 11:03
1999年ワールドユース準優勝の報告をする中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ケ端準
「そりゃ、戻りたいよ。満さん(鈴木満取締役フットボールダイレクター)と会ったときには必ず言ってるから。浩二にも『C.R.O.(クラブ・リレーションズ・オフィサー)なんだから、俺を戻してくれ』と言ってるんだけど、『僕にそんな権限はないです』って(苦笑)。俺ほど鹿島のことを考えている人間は、いないと思うんだよ。一度使ってダメなら、切ってくれて構わないんだけどさあ」
そう語る本田の口調からは、古巣に貢献したいという純粋な気持ちが伝わってくる。
もっとも、なぜ鹿島に戻れないのか、理由の分析は済んでいる。
「面倒くさいんだと思うよ、俺みたいにズケズケものを言うやつは(苦笑)。引退してから人に頭を下げられるようにはなったんだけど、要領が悪いというか、ビジネストークができないというか。仕事が欲しいから、おべっか使ってるんだろう、って思われるのが嫌で」
鹿島復帰を熱望するだけに、鹿島のゲームは今もくまなくチェックしている。ついつい厳しく指摘してしまうのも、鹿島のことが大好きだからだ。
「ポゼッションをやるためにザーゴを呼んだのはいいんだけど、ボールを握ることが得意な選手がどれだけいたか。特にボランチから後ろ。町田(浩樹)はできるほうだけど、ああいうサッカーをやるには、みんなができないと難しい。それで去年は、ハイプレスに引っ掛かると怖がって、縦に速いサッカーになっちゃっていたけど、逆にそれで結果が付いてきた。
じゃあ、2年目はどうするのかなって見ていたら、後ろから繋げる選手を獲らなかったのに、ビルドアップを大事にしようとしていて、中途半端だったよね。在籍している選手たちの能力と、やろうとしているサッカーがズレているし、強みである守備力まで薄れてきていた。その問題にザーゴが気づいていたのかどうか……」
そんなときに起こった監督交代の激震――。かつての盟友である相馬の監督就任は、本田にとって喜ばしいことだった。