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「裏金とかはなかったです」なぜ密約説まで…?“逆指名元年”のドラフト会議…巨人ドラ1選手が振り返る“大混乱の内幕”「監督には感謝しかない」
posted2025/04/07 11:02

1993年、史上初めて逆指名制度が導入されたドラフト会議で巨人1位指名を受けた三野勝大。広島、近鉄を巻き込んだ争奪戦のウラでは何が起きていたのか?
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田口元義Genki Taguchi
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(L)JIJI PRESS、(R)KYODO
時を遡ること32年――。1993年のプロ野球ドラフト会議で、史上初めて「逆指名制度」が導入された。大学生と社会人選手が、自分の希望するチームを事前に宣言することができるこの制度で、はじめて「球界の盟主」巨人にドラフト1位で入団したのが三野勝大だった。新制度に翻弄されたかつての逸材がいま振り返る、当時の真実とは?《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》
プロ野球中継と言えば巨人戦だった。物心がついた時からこの人気球団の帽子を被り、朝から晩まで野球に明け暮れる。
これが、昭和の時代に地方で育った野球少年たちの“あるある”だった。
香川県出身の三野勝大も同じだった。
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小学生だった1980年代前半はよく覚えている。ダブルエースとして君臨していた江川卓と西本聖。入団間もない原辰徳は「若大将」と呼ばれ、すでにスターだった。熱を入れていた選手はいなかったが、巨人というチームがとにかく好きだった。
東北福祉大の4年生だった1993年。
この大学でピッチャーとして名を上げた三野は、同年から施行された逆指名制度によって自らの意志で入団する球団を決められるまでの選手となっていた。
逆指名元年のドラフト…どの球団を選ぶべきか
広島と近鉄。
獲得に乗り出してくれた2球団との間で揺れ動くなか、大学の監督である伊藤義博から「行きたい球団があるのか?」と琴線に触れられた三野が、おもむろに憧憬を漏らす。
「僕は昔から、巨人ファンです」
伊藤が察したように「そうか。わかった」と言った。そこからは多くを語らず、決まってこう告げるばかりだった。
「お前は野球以外のことを考えるな。野球に集中していればいい」