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「裏金とかはなかったです」なぜ密約説まで…?“逆指名元年”のドラフト会議…巨人ドラ1選手が振り返る“大混乱の内幕”「監督には感謝しかない」
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田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)KYODO
posted2025/04/07 11:02

1993年、史上初めて逆指名制度が導入されたドラフト会議で巨人1位指名を受けた三野勝大。広島、近鉄を巻き込んだ争奪戦のウラでは何が起きていたのか?
ふたりのこのやり取りは10月下旬だったと、三野は記憶している。
「僕が監督たちを振り回してしまったようなもんですからね」
ここからの三野は、ドラフトにまつわる動向をほとんど知らされることがなくなった。
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三野サイドが広島と近鉄に“お断り”を入れたと報道されたのは、ドラフト会議を約2週間後に控えた11月上旬のことだった。
奇しくもその頃、巨人が「獲得最有力」とされていた関東学院大の河原隆一を横浜(現DeNA)に、「大学No.1スラッガー」と呼ばれていた青山学院大の小久保裕紀をダイエー(現ソフトバンク)に奪われたことで、ドラフト戦線から大きく出遅れてしまっていた。
巨人が三野の1位指名に踏み切ろうとしているとの報道がなされたのはこの直後のことで、タイミングの良さが“密約説”の引き金にもなってしまった。
メディアも巻き込んだ「ドラ1候補」争奪戦
一連のニュースを真っ向から否定したのが伊藤とされている。報道陣の取材に応じた東北福祉大の監督は、三野が強豪社会人チームに入ることをほのめかしながら、巨人とは接触していないことを強調した。
「本当ですか?!」
53歳となった今の三野が目を丸くする。やや裏返った声が、作り物のリアクションではないことを表しているようだった。
「僕は全然、知らないです。監督に行きたい球団を聞かれてからは全部お任せのような状態だったんで、細かいところまではわからないです。僕としては『行けるものならプロで』と思っていましたし、社会人に関しても『ここに行け』みたいな話はなかったです」
現在の三野の証言によって、22歳だった三野を取り巻く真相が浮かび上がってくる。それは一種の答え合わせのようでもある。