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「イチローに簡単に打たれて…」巨人初“逆指名ドラ1”選手が直面したプロのリアル…「越えられない壁があるんだな」30歳で引退→意外なその後は?
posted2025/04/07 11:03

1993年のドラフト会議で巨人初の「逆指名1位」となった三野勝大だが、巨人での一軍登板は1試合に終わる。引退後、53歳になった意外な現在は?
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田口元義Genki Taguchi
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Genki Taguchi
毎年2月1日から始まる春季キャンプは、ルーキーにとってプロ野球選手としての本格的なキャリアのスタートとなる。
1994年。前年に初めて導入された逆指名制度で巨人にドラフト1位で入団した三野勝大の隣には、一流の「元ドラ1」がいた。
三野が直面…先輩選手の「プロ意識」
キャンプ期間中の宿泊先で同部屋だったその先輩は、三野がまだ寝息を立てている間に起床して朝の散歩へと出発する。そして、目を覚ます頃に部屋へ戻り、朝食会場へ向かう。
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三野が面食らうほど、とにかくプロ意識の高い選手――それが桑田真澄だった。
「自分がやるべきことをわかっていて、自己管理がすごいというか、相当に頭を使いながら生活していたんだと思います」
身長186センチの三野に対し桑田は174センチと、プロ野球のピッチャーとしては体躯に恵まれているわけではない。そんななか毎年のように10勝以上の勝ち星を挙げられているのは、こういった小さいことの積み重ねを妥協せずにできているからだった。
桑田は「来るもの拒まず」の度量の大きな先輩でもあった。三野が尋ねたのは、東北福祉大時代から課題のコントロールについてだ。
力投型である三野は、ピッチングの際にどうしても力んでしまい、グローブをはめている左肩の開きが早くなってしまう傾向にあった。桑田からは「開きを我慢しないとコントロールが安定しないし、バッターからもボールが見えやすくなって打たれることが多くなる」というように、的確な指摘を受けていた。
結論から言えば、三野は桑田からの助言を生かすことができなかった。
「ピッチングフォームは結構、質問しましたね。丁寧にアドバイスしてくださったんですけど、言われたからってすぐにできるもんじゃないんで。人によって骨格や筋力が違うし、桑田さんと同じようにやったからってコントロールがよくなる保証はないですから」