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「裏金とかはなかったです」なぜ密約説まで…?“逆指名元年”のドラフト会議…巨人ドラ1選手が振り返る“大混乱の内幕”「監督には感謝しかない」
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田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)KYODO
posted2025/04/07 11:02

1993年、史上初めて逆指名制度が導入されたドラフト会議で巨人1位指名を受けた三野勝大。広島、近鉄を巻き込んだ争奪戦のウラでは何が起きていたのか?
三野の巨人入団を巡るいきさつを紐解くと、全て伊藤のシナリオ通りに物事が運んでいったように思えてならない。
はじまりは、三野が伊藤に「巨人ファン」だと伝えたことだった。
伊藤は三野に「野球に集中しろ」と言って報道から遠ざけ、広島と近鉄に断りを入れた。その理由を最初から「巨人に入りたいから」とせず、社会人行きをほのめかしながら水面下で話を進め、当人たちが納得する形でまとめ上げた――そう推察することもできる。
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「本当にそうだと思います」
ここで三野の答えと一致する。
「監督が全部、僕の気持ちを尊重して動いてくれたんだと思います。社会人の話があったって言ったじゃないですか。それにしても、ちゃんと相手側に筋を通していたと思うんですね。じゃないと公に話せないじゃないですか。監督には本当に感謝しかないです」
大学を卒業し巨人に入団してからも、三野と伊藤の関係が絶たれたわけではない。
遠征などで東北地方に行くことがあれば、時間が許す限り母校に顔を出したし、2002年に逝去した際には葬儀にも参列した。
「活躍できれば顔向けできたんでしょうけど…」
そんな恩師に対して三野は、今も「申し訳ない」と俯く。
「僕の都合でいろんなことが変わってしまって、監督に迷惑をかけた部分はあったんで。僕がプロで活躍できれば顔向けできたんでしょうけど、できなかったですからね――」
逆指名元年。
巨人のドラフト1位は、また悔いるように唇を少し上げた。そして、自身のプロ生活についても振り返り始めた。
<次回へつづく>
