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「裏金とかはなかったです」なぜ密約説まで…?“逆指名元年”のドラフト会議…巨人ドラ1選手が振り返る“大混乱の内幕”「監督には感謝しかない」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph by(L)JIJI PRESS、(R)KYODO

posted2025/04/07 11:02

「裏金とかはなかったです」なぜ密約説まで…?“逆指名元年”のドラフト会議…巨人ドラ1選手が振り返る“大混乱の内幕”「監督には感謝しかない」<Number Web> photograph by (L)JIJI PRESS、(R)KYODO

1993年、史上初めて逆指名制度が導入されたドラフト会議で巨人1位指名を受けた三野勝大。広島、近鉄を巻き込んだ争奪戦のウラでは何が起きていたのか?

 巨人が名乗りを上げたことにより、監督の伊藤が「三野は社会人」と示唆した。そのことで「大学側は社会人を勧め、三野は巨人の逆指名を望んでいる」という対立構造がメディアによって作り上げられてしまった。

 当時の一部スポーツ紙の報道によると、三野が父親とともに「巨人入り」を熱望していたことで、“最終的に大学側が匙を投げた”とあった。これも、現在の三野によると、またしても「そんな書かれ方をしていたんですね」と新事実を知ったような口ぶりだった。

「オヤジも巨人ファンでしたけど、話し合いとかそんなのはなかったです。監督と巨人の間で具体的にどんな話がされていたのかは聞かされていないのでわかりませんけど、『巨人が獲得してくれるらしいぞ』と伝えてもらいました。好きな球団に行けるわけですからありがたいな、ということで決めました」

「裏金とかなかったですよ」

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 巨人との入団交渉の席で提示された金額を、三野は今も即答できる。

 契約金1億5000万円、年俸1200万円。

「裏金とかなかったですよ」

 どうしても「逆指名=裏金」の印象を持たれがちだが、三野は笑いながらこう先手を打った。これも、ひとつの答え合わせである。

「最初からラブコールを受けて逆指名したわけではないですからね。たまたま空いた席に僕が入っただけなんで、こんなにいただけただけでありがたい限りです」

 巨人の逆指名会見には三野ひとりで臨み、監督の伊藤は同席しなかった。これも両者の“仲たがい”のイメージを与えてしまったが、三野によると入団しなかった広島と近鉄への配慮からなのだという。会見直前に「悪いけど、お前ひとりでやってくれ」と伊藤から詫びるように言われたのだと、三野が明かした。

【次ページ】 「活躍できれば顔向けできたんでしょうけど…」

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