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甲子園の風BACK NUMBER
「こんなヤツらがおるんやって」後輩・根尾昂と藤原恭大に受けた衝撃…大阪桐蔭“谷間の世代”の捕手はなぜ「伝説のキャプテン」になれた?
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Fumi Sawai
posted2024/08/08 06:00
大阪桐蔭「黄金世代」の1年先輩としてキャプテンを務めた福井章吾。彼が「最高のキャプテン」と呼ばれる理由はどこにあったのか
「当時、“プロ欲”が100%あった訳ではないんですけど、後輩たちを見て“こんなヤツらがおるんや”ってビックリしました。
それから自分の実力の立ち位置が分かるようになってきて……実際に練習試合をしていって打撃成績などの数字を見ていくうちに、自分が何ひとつ1番になれるものがなくて。じゃあ自分はどんなことで1番になれるのか考えるようになったんです」
キャプテンに指名も…下級生主体のチームに
2年生だった16年夏、大阪桐蔭は府大会の3回戦で関大北陽に1-2で敗れた。その後、能力のある下級生が多い新チームで福井はキャプテンに指名された。
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「1年上の先輩たちは、夏は負けたけれど力がありましたし、1年下はあれだけのメンバー。自分たちの学年は窮屈な世代だったんです。
結果を残していた後にキャプテンを任されていたら、それほど重圧は感じなかったかもしれません。負けた後だったので自分たちは上がっていくだけだったんですけれど、レギュラーに定着している選手がいなくて、上がり方を知らなかったんです。今思うと、マイナスからのスタートだったと思います」
新チームの初の対外試合の東洋大姫路との試合は黒星スタート。先が見えないまま「その場しのぎみたいな試合ばかりで、ただユニホームを着せてもらって試合をしているような日が続きました」と振り返る。
16年夏の大阪の代表は履正社で、最速150キロ左腕・寺島成輝(元ヤクルト)が脚光を浴びた夏でもあった。さらにその秋の明治神宮大会で履正社が優勝し「これから大阪は履正社の時代になるんじゃないかって声も聞きました」。
大阪桐蔭は、秋季府大会では準決勝で履正社に4-7で敗れるも3位決定戦で初芝立命館に快勝して近畿大会に滑り込み、近畿大会では“センバツ当確圏内”の4強まで勝ち進んだ。
それでも、不安ともどかしさが心の中のどこかにあった。