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「ヒデは部屋いっぱいの手紙とプレゼントを…」じつは優しい中田英寿21歳の素顔…ベルマーレ伝説の広報が見た“呂比須の帰化とクラブ存続危機”
posted2025/04/07 11:05

(左)ベルマーレ平塚時代の中田英寿、呂比須ワグナーら (右)広報になる前、マネージャー職に抜擢された当時の遠藤さん(2000年頃)
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
L:Sankei Shimbun, R:Sachie Endo
J1湘南ベルマーレの広報として長年クラブを支えてきた遠藤さちえさんのインタビュー全3回。第2回では、遠藤さんに影響を与えたレジェンドとの秘話を紹介します【NumberWebインタビュー全3回/第1回、第3回も公開中】
ベルマーレ平塚に加入した1997年に18ゴールを奪取した呂比須ワグナーは、同年9月に帰化が認められ、翌年、日本代表としてフランスW杯に出場。クラブ在籍年数は2シーズンと長くはなかったものの、サッカー人生で一番のキーポイントとなるシーズンを平塚で過ごしたことになる。それは、遠藤さんにとっても仕事に対する考え方が変わる大きな出会いだった。
「必要以上のサポートはしない」
「日本語の習得もW杯のメンバー入りも、彼自身の努力で夢を叶えました。その過程を見ていて感じたのは、必要以上のサポートはときにはマイナスになる可能性もあるということ。もちろんピッチ外でも不自由やストレスを感じることなくプレーできる方がいいのかもしれません。ただ、一人の人間としての人生を考えたとき、異文化での生活の違いを感じ苦労したほうが、長く日本で幸せに生活できるかもしれないと思ったんです。人をサポートする仕事は好きだけどサポートのしすぎは邪魔をしてしまう。せっかく日本に来たのなら、やっぱり幸せに暮らしてほしいですから」
当時、欠かさず付けていた日報には、どこまでサポートすべきなのか、外国籍選手にとって何が一番いいのか、その判断が難しいと記されていた。そういった経験があったからこそ、「振り返れば必ず自分がいる状態を整えておく」という、選手と絶妙な距離感が取れるようになった。