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甲子園の風BACK NUMBER
「こんなヤツらがおるんやって」後輩・根尾昂と藤原恭大に受けた衝撃…大阪桐蔭“谷間の世代”の捕手はなぜ「伝説のキャプテン」になれた?
posted2024/08/08 06:00
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
(L)JIJI PRESS、(R)Fumi Sawai
甲子園で常に優勝候補に名が挙がる大阪桐蔭。そんな「超名門」だけに、主将にかかる重圧は凄まじい。これまで多くのキャプテンが生まれてきたが、中でも「最高」との呼び声も高いのが2017年の福井章吾(現トヨタ自動車)だ。根尾昂(中日)や藤原恭大(ロッテ)がいた最強世代との谷間にあって、なぜ福井はその地位を確立できたのか。本人の言葉で振り返る。《NumebrWebインタビュー全2回の1回目/2回目を読む》
大阪桐蔭が甲子園で勝ち上がるたびに、プロ注目の選手と並んで気になるのが、主将がどんな選手であるかだ。
経験値の高い選手、統制力を持つ選手……。どんな特徴があっても“大阪桐蔭のキャプテン”となると、なおさら注目度が増す。歴代にも様々なキャプテンがチームの先頭に立ってきたが、14年夏の甲子園で2年ぶりに全国制覇を果たした年は、中村誠(現大阪桐蔭コーチ)という、物事を平等に見渡し選手たちの心を束ねてきた主将がいた。
その中村誠に強い憧れを抱いていたのが、3年後に大阪桐蔭の主将となった福井章吾だった。誰よりも強いキャプテンシーが目を引く福井だが、実はキャプテンを務めたのは小学校以来だったという。
「子供の頃から遊ぶ時も先頭に立ってやっていた方でしたし、キャプテンやリーダーをするのは苦手ではなかったんです。でも……(大阪桐蔭でのキャプテンは)プレッシャーは半端なかったですね」
大阪桐蔭を選んだのは「プロになるため」
福井が大阪桐蔭への進学を志したのは、プロ野球選手になるためだった。
プロ野球選手になって親に恩返しをしたいと全国のトップレベルが集う名門の門を叩き、1年の春にはメンバー入りを果たした。
だが、2年に進級すると1年下に入学してきたのが根尾昂、藤原恭大といった、のちに2度目の春夏連覇を果たすことになるメンバー達だった。