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甲子園の風BACK NUMBER
「こんなヤツらがおるんやって」後輩・根尾昂と藤原恭大に受けた衝撃…大阪桐蔭“谷間の世代”の捕手はなぜ「伝説のキャプテン」になれた?
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Fumi Sawai
posted2024/08/08 06:00
大阪桐蔭「黄金世代」の1年先輩としてキャプテンを務めた福井章吾。彼が「最高のキャプテン」と呼ばれる理由はどこにあったのか
米子松蔭、智弁和歌山に勝ち、迎えた3回戦の仙台育英戦。仙台育英の左腕・長谷川拓帆に6安打に抑えられ、1-0のまま迎えた9回裏だった。2死走者なしから内野安打と失策などで2死満塁となり、迎えた馬目郁也から左中間を破る逆転サヨナラ二塁打を浴び、劇的な幕切れとなった。
大歓声と共に左中間に飛んでいった打球を、福井はマスクを外し呆然と見つめていた。右手でヘルメットを取り、その後両手を膝につく。悲鳴と歓声が入り混じる中、整列の輪に加わると、自然と涙が溢れた。
敗戦の悔しさより「背負った重圧の方が重かった」
夏の日本一を目指す戦いは終わった。ベンチ前で相手校の校歌を聞いていると、涙がさらにこぼれていく。悔しさはもちろんあった。だが、実際はどこか安堵している自分もいたという。
「プレッシャーから、やっと解放されたというか……。終わった、という思いの方が強かったですね。もちろん、キャプテンになってから良い思いもさせてもらいました。でも敗戦の一瞬で味わった悔しさよりも、1年間背負ってきたプレッシャーの方が重たかったんですよ。
左中間に抜けた瞬間は負けた、という感覚はなかったんです。でも、西谷先生がベンチ前で顔をタオルで覆っているところを見て(涙を流しているように見えて)終わったんだなというのが分かって……。あの時のことは今でも忘れられないです」
誰よりもユニホームを汚し、誰よりも最初にグラウンドに来てグラウンド整備をする、道具を運ぶ。走攻守で1番でなくても、そんな姿勢をまず見せないといけないと思いながら、2年半を駆け抜けた。
「僕がやっているのなら……というところを周りに見せないといけないなと」
その思いだけだった。8月19日。日本一にこだわり続けてきた高校野球生活は、夕焼けに照らされた聖地にこの上ない衝撃を残し、幕を閉じた。
<次回へつづく>