箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
仙台育英高で全国駅伝3連覇→中大で3度の箱根駅伝出場…“天下の険”も上った陸上エリートが弁護士転身のナゼ「進学クラスでは“落ちこぼれ”でした」
posted2023/12/24 17:01
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
JIJI PRESS
高校時代は宮城の名門・仙台育英高で全国高校駅伝3連覇。進学した中央大法学部在籍時には、5区山上りを含む3つの区間で箱根駅伝に出場し、36歳の現在、弁護士となり都内の弁護士事務所に勤務する梁瀬峰史さん。「文武両道」を地で行き、箱根駅伝出場と司法試験合格という2つの夢を叶えた梁瀬さんに弁護士を目指したキッカケや黄金期の仙台育英高で過ごした高校時代のことなどについて聞いた。【全3回の前編/中編、後編も公開中】
「陸上競技」と「弁護士」に興味を持ったキッカケは…?
山形県真室川町出身の梁瀬さんは幼少期から両親の影響で、県外のマラソン大会に出場するなど走ることに触れ合ってきた。それと同時に、漠然と弁護士という職業への興味を持ち始めたのも、幼い頃だったという。どういうキッカケだったのか。
「最初に興味を持ったのは小学校低学年の頃です。地元で知人に起きたトラブルを弁護士の方が法律を使って解決されている姿を見て、なんとなく幼心に憧れを抱きました。もちろんまだ幼かったので、弁護士の仕事をしっかり理解できていたわけではありません。ただ、子どもながらにテレビなどを通じ、『困ったことを解決できる弁護士ってカッコいい』と思っていた記憶があります」
実家は農業を営んでいたが、母親は教員。教育熱心だった両親のもと、公文式を通じて学び、中学時代は勉強の成績も良かった。一方で、幼い頃から親しんでいた陸上でも3000mで山形県1位という結果を出し、高校は全国でも屈指の強豪・宮城県の仙台育英学園高等学校に進学した。
走ることは「得意」だという自負はあった。ただ、山形の田舎で育った梁瀬さんにとっては、都大路(全国高校駅伝)も箱根駅伝も現実味のある大会ではなかった。そのため、知識も憧れもほとんどなかった。
お正月に父親が箱根駅伝をテレビ観戦していた姿ははっきりと覚えている。しかし、それほど関心のなかった子どもにすれば、テレビのチャンネルを奪われている気分でしかなかった。それだけに高校に上がったばかりの頃は、周囲の選手とのギャップは大きかったと振り返る。