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「一畳の寝室スペースで、夜な夜な予備校の配信を…」《全国高校駅伝3連覇→3度の箱根駅伝出場》の弁護士が語る“勉強と駅伝”の二刀流生活
posted2023/12/24 17:02
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
本人提供
梁瀬さんは高校時代に駅伝で全国3連覇を果たすなど華々しい結果を残し、中大に進んだ。
一方で、陸上競技部の他の多くの学生とは異なり、箱根駅伝出場を明確な目標として大学を選んだわけではなかった。中大の法学部に進学した大きな理由は、弁護士を目指すうえでの選択だった。
では「陸上」と「勉強」の二刀流生活を目論むなかで、箱根駅伝に対してはどんな思いを持っていたのだろうか。
箱根は「走りたい」ではなく「走らなければいけない」
「なかなか言い方が難しいのですが、陸上競技部に入った以上は部に貢献する意味でも『走らなければいけない』という思いがありました。それまで走ってきた環境を考えても、『走りたい』ではなく『走らなければ』という義務感が強かったと思います」
一方で、高校時代の実績はあったとはいえ、中大は箱根駅伝で過去最多14度の優勝回数を誇る名門である。駅伝チームで練習しながら、司法試験に向けた勉強を並行して行なうハードルが高いのは想像に難くない。
「そこは難しい…というか十分にはできていなかったですね。とくに1年目は大学の仕組みを理解したり、単位を取ることで精一杯で、いま振り返ると勉強は全然できていなかったです。司法試験に向けて準備を始めたのは2年生になった頃で、その頃から、大学で開催されている司法試験合格を目指す学生向けの研究室に通ったり、予備校へ通うようになりました」
当時の中大の練習は、早朝に十数キロの朝練と、午後は曜日によってジョグもしくは強度の高いポイント練習とメニューは異なるが、週6日の2部練習が基本だった。朝練は5時半には準備運動をはじめねばならず、授業のあとの午後練習も陽が沈む頃まで行われていたことを考えると、研究室や予備校に通う余裕などあったのだろうか。