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仙台育英高で全国駅伝3連覇→中大で3度の箱根駅伝出場…“天下の険”も上った陸上エリートが弁護士転身のナゼ「進学クラスでは“落ちこぼれ”でした」 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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posted2023/12/24 17:01

仙台育英高で全国駅伝3連覇→中大で3度の箱根駅伝出場…“天下の険”も上った陸上エリートが弁護士転身のナゼ「進学クラスでは“落ちこぼれ”でした」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

仙台育英高時代は全国高校駅伝で3連覇を達成した梁瀬峰史さん。超強豪校で3大会すべてに出走したのは梁瀬さんだけだった

「入学当初はとても全国レベルの選手ではなく、活躍したいという思いはもちろんありましたが、明確な高い目標を持っていたかというとそうでもありませんでした。仙台育英を選んだ理由も『はっきりはわからないけど、自分の想像もつかないレベルの人に声をかけていただいたのだから、行ってみよう』という感覚でした。

 入学すると先輩はすごい方々ばかりで、同期には前年のジュニア・オリンピックで2位、3位だった2人もいました。私自身も同大会には出場していましたが、順位は予選で最下位近く。練習量も中学時代に比べるとかなり増えましたし、最初は練習についていくのもやっとのような状態でした」

仙台育英高の先輩には五輪マラソン金メダリストも…!

 梁瀬さんが言う「すごい先輩」の中には、のちに08年北京五輪でマラソン金メダルを獲得したケニア共和国のサムエル・ワンジル選手がいる。ちなみにワンジル選手はその後、20代半ばで母国の自宅で命を落としてしまうことになったが、梁瀬さんのなかには強烈な記憶として残っている。

「高校の朝練は各自でジョグをするスタイルだったのですが、1度一緒に走らせてもらったら、速すぎて1日の体力をすべて持っていかれる感じでした。なので、それ以降は一緒に走る決断はできませんでした(笑)。ご本人は日本文化に溶け込み、後輩の面倒見もいい人でした」

 そんな風に入学時にはレベルの高さに戸惑ったこともあった梁瀬さんだが、徐々に力をつけると1年時から都大路のメンバーに選ばれ、全国高校駅伝3連覇の原動力になった。

 とくに出色だったのは2年生だった2004年時で、アンカーを任されると自身が区間賞を獲得しただけでなく、大会記録を更新し、当時「神の領域」とまで言われたタイムでの優勝に貢献した。

 上述のように、同期には全国的に見ても実績のある実力者が揃っていたが、3年連続で都大路を走ったのは梁瀬さんだけだった。

【次ページ】 全国駅伝3連覇も「陸上と距離を置きたい」と考えた理由は…?

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