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仙台育英高で全国駅伝3連覇→中大で3度の箱根駅伝出場…“天下の険”も上った陸上エリートが弁護士転身のナゼ「進学クラスでは“落ちこぼれ”でした」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/24 17:01
仙台育英高時代は全国高校駅伝で3連覇を達成した梁瀬峰史さん。超強豪校で3大会すべてに出走したのは梁瀬さんだけだった
「チームメイトの全員が強かったので、3年連続で出場できたのはタイミングがよかっただけなんです。ただ、当時は大変な負けず嫌いではありました。入学してすぐの頃、学校にスポーツ紙の取材が来て、私以外の大半の同期が呼ばれたなかで私は呼ばれず、彼らを横目に筋トレをしていただけでした。中学時代の実績からすると当然なのですが、なぜかすごく心に残る悔しさがあって『同期に追いつきたい』という思いは強かったです。疲れを抜く日なのに、隠れて少し遠くの公園や神社で一人、坂道ダッシュをし、結局疲れがたまり朝練をこなせないという本末転倒なこともありました。
1学年上には強い選手が多くいましたから、私はチャレンジャーとして競技に没頭できたことも大きかったと思います。ただ、周囲に順応しようと必死だったこともあって、正直あまり詳細な記憶は残っていないんです(苦笑)」
全国駅伝3連覇も「陸上と距離を置きたい」と考えた理由は…?
充実した競技生活を送っていた一方で、高校卒業後の進路を考え出した頃には「陸上と距離を置きたい」とも考えていたという。
「理由の1つは、高校時代の生活が自分にとっては辛過ぎたからです。朝練で10キロ以上走って、寮から約10キロの距離の学校まで自転車で通い、授業のあとも10キロ~20キロのトレーニング。そこから、また寮に帰るという生活を週4~6で繰り返していました。全国レベルのメンバーだったので、距離だけではなく、練習の質も高かったです。
このまま陸上を続けても、将来走ることを食いぶちにしていくのは無理だろうという実感がありました。加えてあのレベルで陸上をやっていると、授業をこなすことも難しいときがありました。中学時代は成績も悪くはなかったですが、高校では特進クラスのなかで‟落ちこぼれ”。そういう状況だったので、『ちゃんと勉強もしなきゃ』という思いもありました」