プロ野球PRESSBACK NUMBER
〈追悼〉降板を直訴して津田恒実さんを胴上げ投手に…北別府学さんの思い出とカープ黄金期の輝き「他球団の選手とは口もきかない」「薩摩のサムライでした」
text by
小早川毅彦Takehiko Kobayakawa
photograph byKoji Asakura
posted2023/06/22 11:04
正確無比なコントロールを武器に、広島のエースとして黄金期を築いた北別府さん
たまにエラーをしてしまうこともありましたが、北別府さんに怒られたことは一度もなかった。むしろエラーをしたら、「大丈夫だよ、俺がなんとかしてやるから安心しておけ」って。そしてその言葉通りのピッチングでピンチを抑えてくれる。真のエースでした。
「他球団の選手に対しては絶対に…」
春のキャンプでは、紅白戦で北別府さんと対戦する機会もありました。当時のカープは沖縄の1次キャンプで体を作って、2月中旬に2次キャンプの宮崎・日南に移ってから実戦形式に入っていた。オープン戦の初戦は毎年、都城で開催されていたのですが、都城農業高校出身の北別府さんはそこで先発するのが恒例でした。エースであるにもかかわらず、毎年そのオープン戦初戦に照準を合わせてしっかりと調整しているわけです。だからその前段階である紅白戦レベルでも、コントロールや変化球のキレは凄まじかった。特に打席で見たカーブには完全にタイミングを外されて、凄い球だなと驚いたことを覚えています。
北別府さんにはプライベートでも可愛がってもらい、食事に誘っていただいたことも何度もありました。普段は穏やかでチームメートにはとても優しいんですが、他球団の選手とはグラウンドの内外を問わず、顔を合わせても絶対に挨拶をしないし口もきかない。それは、徹底した投手としてのプロ意識ゆえでした。ストライクゾーンを目一杯使って、コントロール良く抑えるのがピッチングスタイル。相手打者の懐を厳しく突いていかなければ絶対に抑えられない。少しでも話したり、挨拶したりする関係になれば情が移ってしまって厳しく攻められなくなるから、と。
登板前日は、必ずこれをして何時に寝る、というルーティンもしっかりと決まっていました。お酒は好きでしたが、登板前は絶対に口にしない。試合当日は、サインを書かないというのも決まっていて、たとえ選手同士であっても登板日は北別府さんにサインを頼んだりしないように、というのはチーム内のルールでした。そしていざマウンドに上がると、どんな強打者相手でも、怯んだような姿は絶対に見せない。当時のカープは、どんなに強い相手に対してもみんなが気持ちを出して立ち向かっていましたが、その象徴が北別府さんのピッチングだったと思います。