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〈追悼〉降板を直訴して津田恒実さんを胴上げ投手に…北別府学さんの思い出とカープ黄金期の輝き「他球団の選手とは口もきかない」「薩摩のサムライでした」
posted2023/06/22 11:04
text by
小早川毅彦Takehiko Kobayakawa
photograph by
Koji Asakura
私が法政大学からカープに入団したのが1984年。当時は外野に「ミスター赤ヘル」の山本浩二さんがいて、内野には「鉄人」衣笠祥雄さんや高橋慶彦さん、キャッチャーは達川光男さんと、本当に錚々たる顔ぶれでした。大学や高校時代は、先輩と言っても2つか3つ違いくらいのものですが、プロに入った途端、15歳くらい年上の選手たちがたくさんいるわけです。こんなおじさんがチームメートなのか、これがプロというものかと、感じたことを覚えています。
貫禄たっぷりの先輩に囲まれて…
1年目から一軍でプレーさせてもらいましたが、当時を振り返るとあの頃の先輩方は本当に個性的でした。それぞれの選手が、自分のカラーやこだわりを持っていて、この世界で自分は何を武器に戦っていくのか、ということをしっかりと打ち出していた。和気藹々なんて空気は、当然ないです。時代が違うとはいえ、当時のカープでグラウンドの中でニコニコしていた選手なんていないんじゃないかな。貫禄たっぷりの先輩方に囲まれて、若手選手は常にピリピリとしていました(笑)。
そんな豪快な選手たちの中で、当時27歳だった北別府さんはすでにエースでした。18歳で入団してプロ3年目から毎年2桁勝利をあげていましたから、ルーキーの私とは4歳しか違わないのに貫禄が違いましたね。北別府さんと言えば正確無比な制球力が代名詞ですが、あのコントロールは本当に凄かった。バッテリーを組む達川さんのミットが、構えたところから1ミリも動かないんです。必ずサイン通りのところに行くので、後ろで守っていると、投げる前から大体打球の方向の予想がつく。準備ができるので本当に守りやすかったですし、反面、ゲッツーを狙う局面などはより集中して守備についていました。