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ダルビッシュ36歳、WBC合宿で佐々木朗希らに”ダルビッシュ教室”開講!「エグいっす!」湯浅京己、山本由伸も熱視線を送るスゴい存在感
posted2023/02/18 18:48
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Hideki Sugiyama
2009年。原辰徳監督(現・巨人監督)が率いる第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表候補が集結したサンマリン宮崎スタジアムは、超満員のファンで膨れ上がっていた。球場につながるバイパスは地元宮崎や九州各地だけでなく、広島や岡山、果ては兵庫、大阪などのナンバーをつけた車が長蛇の列を作り、駐車場に入るだけで1時間以上の渋滞が起こった。そして1歩、球場に足を踏み入れると、外野スタンドまで立錐の余地がないほどファンが溢れる大騒ぎとなっていた。
いるだけでチームの支柱になったイチローの存在感
そのほとんどのファンの視線の先にいたのが、背番号51をつけ、当時シアトル・マリナーズでプレーしていた外野手のイチローさんだったのである。ファンの視線を意識してイチローさんも守備練習では、時折、得意の背面キャッチを披露するなどのサービス。その度に大歓声にスタンドが包まれた。
そんなイチローさんの姿をずっと追いかけていたのは、スタンドのファンばかりではなかった。代表に参加した選手たち、特に若い選手たちには側にいるだけで気持ちが昂るような存在で、その一挙手一投足に目を輝かせていた。
「イチローさんのやること一つ一つがすべて勉強だった」
こう振り返るのは合宿中、キャッチボールの相手を務めた外野手の巨人・亀井善行(当時は義行)打撃コーチである。
「キャッチボールをすると大砲のようなボールが胸にドーンと来た。鉛のように重くて、それがすべて正確に来る。超一流になる選手のキャッチボールってこうなんだって実感しました」
亀井コーチは、イチローさんからは肩の強さを褒められ、それだけでさらに練習に熱が入ったという。このチームにキャプテンはいなかった。それでもイチローさんの存在は、そこにいるだけでチームの支柱となる。そんな選手だったのである。
あれから14年。ひなたサンマリンスタジアム宮崎と改称した球場に、第5回WBCに参加する日本代表メンバーが集結した。