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森保ジャパンはW杯開幕5カ月前「選手が監督の真意を計りかねた状態」だった? 熟知するライター陣が明かす“変化のきっかけ”
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/01/02 17:00
カタールW杯前、9月シリーズのアメリカ戦で意思疎通を図る吉田麻也と森保一監督
木崎 実はハビエル・アギーレもこの形に近かったんですよ。練習に関してはフィットネスコーチがしっかりと見ていて、アギーレは最後の紅白戦だけ見る、という。ヨーロッパではけっこうそういうタイプが多いんです。世界的にこれをドラスティックにやったのがファーガソン(元マンチェスター・ユナイテッド監督)です。コーチを入れ替えることによってバージョンアップしていくやり方ですが、クロップ(リバプール監督)もそれに近づいているんです。最初は小さなクラブですべてを担っていましたが、今は自分が社長で、周りに優秀なスタッフをそろえています。そして森保監督も、そういうタイプだったと。
飯尾 Jリーグでは、ポステコグルー(セルティック監督)も、ロティーナもそういうタイプでしたよね。右腕のコーチが練習を仕切っていましたから。ちなみにサンフレッチェ広島時代も、森保さんは守備構築は行うけど、攻撃面に関してはミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ=北海道コンサドーレ札幌監督)のエッセンスを学んだ横内さんが担当していたそうです。
木崎 古くは横浜フリューゲルスで加茂周監督がベルデニックをコーチにしていたような関係性ですね。
飯尾 そうですね。ベルデニックさんが「ゾーンプレス」という戦術を植え付けていた。それを見て学んだ加茂さんが、自身が日本代表監督になったときに今度は自ら取り組んでみた、という。
9月シリーズのやりとりに“緘口令”が敷かれた理由
木崎 9月シリーズの話に戻すと、選手ミーティングにおけるやりとりについては、当時ベテランから選手たちに緘口令が敷かれました。「選手が話し合ってチームが変わった」とメディアに解釈される可能性があったからです。それだけベテランたちが「森保監督を男にしたい」と考えていたんでしょう。チュニジア戦後のバスの出来事とドイツ遠征が、森保ジャパンのターニングポイントだったと言っていいのでは、と思います。
飯尾 森保監督は以前こんなふうにも話していました。「伝えようとしたことが選手たちに響く時もあれば、響かない時もあった。2次予選の頃、最終予選の頃、そしてW杯に向けて世界に向かっていく時期ではフェーズは大きく変わる」と。2次予選相手のレベルだと世界の強豪と戦うためのイメージを伝えるのは難しかったでしょうし、最終予選ではアジアの戦いを勝ち抜くことで精一杯。そしてようやく本番が近づいてきたところで具体性も増して、選手にも理解してもらえるようになった。そういった心の揺れ動きは、人間同士が向き合う中だからこそ、生まれるものじゃないかなと。
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白熱する2人の対談。第2回では「カタールW杯のグループステージ各試合」に焦点を当てながら話を進めていく。
<#2につづく>
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