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ドラフト「本当の不作年」ワースト20…“実質最下位”は「71名中32名がプロ入り拒否」の年、KKがいた1985年も“意外な順位”に 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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photograph byTatsuo Harada

posted2022/10/20 11:11

ドラフト「本当の不作年」ワースト20…“実質最下位”は「71名中32名がプロ入り拒否」の年、KKがいた1985年も“意外な順位”に<Number Web> photograph by Tatsuo Harada

1997年、4球団競合で川口知哉を引き当てたオリックス・仰木彬監督。同年ドラフトの代は何位に?

ワースト10…浮かび上がる「9人野球→分業制」の変化

 それではいよいよ、ドラフト50年分の『ワースト10』を発表しよう。

【ドラフト「本当の豊作年・不作年」ランキング41~50位(ワースト10~1位)】

41位:1974年 S:2人 A:1人 B:9人 1700点 新井鐘律、高橋慶彦、西本聖

42位:1995年 S:1人 A:2人 B:10人 1700点 荒木雅博、薮田安彦、仁志敏久

43位:1999年 S:0人 A:4人 B:8人 1600点 岩隈久志、川崎宗則、清水直行

44位:2007年 S:1人 A:2人 B:9人 1600点 宮西尚生、丸佳浩、中田翔

45位:1982年 S:1人 A:1人 B:10人 1500点 斎藤雅樹、川相昌弘、鹿島忠     

46位:1972年 S:0人 A:4人 B:6人  1400点 真弓明信、鈴木孝政、池谷公二郎 

47位:2008年 S:0人 A:3人 B:8人  1400点 浅村栄斗、谷元圭介、西勇輝

48位:1979年 S:0人 A:4人 B:5人  1300点 岡田彰布、牛島和彦、山内孝徳     

49位:1973年 S:0人 A:3人 B:6人 1200点 掛布雅之、山下大輔、栗橋茂

50位:2014年 S:1人 A:0人 B:4人  700点 山崎康晃、岡本和真、有原航平

 ワースト10のうち、1970年代が4年を占めた。当時は投手なら先発完投、野手ならフル出場が求められ、なるべく控えを使わない『9人野球』が理想とされていた。リリーフ専門の投手もチームに数人程度。事実、完投数を比べると、両リーグ合わせて1972年は435もあるが、今年は75。50年経って、6分の1程度まで減り、その分リリーフの登板数が増えた。つまり、現代のほうがB評価以上になる投手の確率が上がっている。

 1970年代の該当4年を見ても、A評価以上で数年間に渡ってリリーフを専門にしたのは鈴木孝政と牛島和彦だけ。2人が在籍した頃の中日では『肩は消耗品』という持論を持ち、1960年代から『投手分業制』を唱えていた近藤貞雄が投手コーチや監督を務めていた。

 また、期待の高校生が入団時に既に肩を壊している例もあった。1974年夏の甲子園優勝投手の土屋正勝は中日1位で入団したが、高校3年の県予選前にはボールを握るだけで肩に激痛が走る状態だった。土屋と同じく『高校四天王』と呼ばれたヤクルト1位の永川英植がプロでわずか1試合の登板に終わったのも、高校時代の投げ過ぎと無縁ではないだろう。

【次ページ】 中田翔の07年、大田泰示の08年は苦戦…

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