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プロ野球PRESSBACK NUMBER
ドラフト「本当の不作年」ワースト20…“実質最下位”は「71名中32名がプロ入り拒否」の年、KKがいた1985年も“意外な順位”に
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byTatsuo Harada
posted2022/10/20 11:11
1997年、4球団競合で川口知哉を引き当てたオリックス・仰木彬監督。同年ドラフトの代は何位に?
「71名中32名がプロ入り拒否」…“実質ワースト”の73年
1973年は1位指名のうち7名がB評価以上という好成績を上げているにもかかわらず、実質的な最下位に沈んだ。ドラフト外も含め2位指名以下のB評価以上が2名に留まったこともあるが、相次ぐ入団拒否が痛かった。江川卓が阪急1位、山倉和博が南海2位、袴田英利がロッテ3位(4年後ロッテ1位で入団)、藤沢公也が近鉄4位を断った。巨人は1位から3位まで全てにフラれ、12球団の指名71名中32名がプロ入りせず、拒否率は45.1%にまで上った。
その後、拒否は減少していき、1987年には初めてドラフト指名選手が全員入団した。2010年以降は育成を除けば、2011年の日本ハム1位・菅野智之、2016年の日本ハム6位・山口裕次郎の2名しか断っていない。拒否が珍しくなかった時代だったことも、1970年代が低調になった理由の1つだろう。
2015年以降はどうなる?
第1回から50年間のドラフトを「豊作」「不作」で分けてきたが、2015年以降の選手は現時点でどんな成績を残しているのか。
年数が短いにもかかわらず、既にタイトル4年以上獲得のA評価が5人いる。2015年オリックス1位の吉田正尚、2016年オリックス4位の山本由伸、2016年西武3位の源田壮亮、2017年ヤクルト1位の村上宗隆、2018年阪神1位の近本光司である。
“豊作”と言われた2016年、中日1位の柳裕也が最優秀防御率と最多奪三振(ともに2021年)の獲得歴を持つ一方、5球団が競合したソフトバンク1位の田中正義は未だ0勝。同じ大卒で、外れ1位で5球団競合のロッテ1位の佐々木千隼も燻っていたが、昨年リリーフで54登板、防御率1.26の好成績を残した。田中の成長も待ち望まれる。
同じく“豊作”と伝えられた2018年、高卒選手では広島1位の小園海斗、巨人6位の戸郷翔征が活躍しているが、目玉だった中日1位の根尾昂、ロッテ1位の藤原恭大、日本ハム1位の吉田輝星はまだブレイクには至っていない。今シーズン、投手に転向した根尾、中継ぎで51試合に登板した吉田は大器の片鱗を見せただけに、大卒1年目と同じ年齢を迎える来季が勝負か。
57年間にも及ぶドラフトの歴史を、数字を元に検証できるのもプロ野球の醍醐味の一つ。選手はもちろん、創成期から現在に至るまでの審判、公式記録員、スポーツ紙記者などの日々の奮闘があったからこそ、野球の記録が残り続けていることを胸に刻みたい。
※敬称略、名前(入団後に変更のケース多数)や所属球団はドラフト当時。成績は2022年シーズン終了現在
参考文献:『ドラフト50年の物語 〜クジに左右された「光と陰の野球人生」〜』(竹書房)、『季刊Baseball Times ドラフト徹底解剖2022年Autumn号』(エス・アイ・ジェイ)、日本野球機構(NPB)オフィシャルサイト、日刊スポーツ、スポーツニッポン、報知新聞(スポーツ報知)、サンケイスポーツ、デイリースポーツ、東京中日スポーツ、週刊ベースボールONLINE、三井ゴールデン・グラブ賞公式サイト
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。