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プロ野球PRESSBACK NUMBER
ドラフト「本当の不作年」ワースト20…“実質最下位”は「71名中32名がプロ入り拒否」の年、KKがいた1985年も“意外な順位”に
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byTatsuo Harada
posted2022/10/20 11:11
1997年、4球団競合で川口知哉を引き当てたオリックス・仰木彬監督。同年ドラフトの代は何位に?
二刀流で野球界の常識を変えた大谷翔平(日本ハム)、浪人のブランクを感じさせずにエースに上り詰めた菅野智之(巨人)などの2012年は10シーズンを終えた時点で、29位。とはいえ大谷がまだ28歳である点、ヤクルト1位の石山泰稚、2位の小川泰弘、DeNA6位の宮崎敏郎などが近い将来に500登板や100勝、1500安打を達成しそうな点を踏まえると、将来的には上位に食い込む豊作年になりそうだ。
ワースト20~11位…意外に低調な「KKドラフトの85年」
【ドラフト「本当の豊作年・不作年」ランキング31~40位(ワースト20~11位)】
31位:2003年 S:2人 A:3人 B:8人 2000点 青木宣親、鳥谷敬、内海哲也
32位:2010年 S:1人 A:4人 B:9人 2000点 柳田悠岐、山田哲人、西川遥輝
33位:1992年 S:1人 A:2人 B:13人 2000点 松井秀喜、豊田清、佐伯貴弘
34位タイ:1977年 S:0人 A:6人 B:7人 1900点 平野謙、遠藤一彦、小松辰雄
34位タイ:1986年 S:0人 A:6人 B:7人 1900点 山﨑武司、西崎幸広、藤井康雄
36位:2009年 S:0人 A:5人 B:9人 1900点 大島洋平、増井浩俊、長野久義
37位:2013年 S:1人 A:2人 B:12人 1900点 松井裕樹、山川穂高、森唯斗
38位:1975年 S:2人 A:3人 B:6人 1800点 北別府学、篠塚利夫、簑田浩二
39位:1985年 S:2人 A:1人 B:10人 1800点 清原和博、田中幸雄、桑田真澄
40位:1965年 S:3人 A:3人 B:2人 1700点 鈴木啓示、堀内恒夫、藤田平
斎藤佑樹、大石達也、福井優也という『早稲田の三羽烏』が1位指名されて盛り上がった2010年だったが、プロ生活の主役はドラフトで目立たなかった選手から生まれた。斎藤、塩見貴洋を抽選で外したヤクルトは山田哲人を1位指名。前人未到のトリプルスリー3度を成し遂げ、球界を代表する選手になった。ソフトバンクは2位の柳田悠岐に加え、育成の千賀滉大や甲斐拓也が大ブレイク。アマチュア時代の実績とプロでの活躍は必ずしも一致しないことを示す年になった。まだ複数の選手が現役を続けており、順位は今後上がっていくはずだが、“大豊作”と言われるレベルに届くかは微妙か。
アマチュアが参加していた頃、オリンピックイヤーは主に“豊作”と伝えられていた。バルセロナ五輪で銅メダルを獲得した1992年も伊藤智仁、杉山賢人などの逸材が並んだ。2人は新人王に輝くも、伊藤は1年目の7月、杉山は3年目の5月に故障。ともに復活を果たしたが、通算成績は伸びずに終わった。この年最大の目玉は、夏の甲子園で5打席連続敬遠された松井秀喜だった。4球団競合の末、巨人の長嶋茂雄監督が抽選で引き当てると、『4番1000日計画』を打ち出して徹底的に鍛えた。松井は3度のMVPを受賞。2003年ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、2009年にはアジア人初のワールドシリーズMVPを獲得した。
松井以上に甲子園を沸かせたPL学園の桑田真澄、清原和博の『KKコンビ』のいた1985年は意外にも低調だった。2人は前評判に違わぬ活躍を見せたが、他のS~A評価は都城高校から日本ハム3位で2000安打を放った田中幸雄のみ。ただ、この年の高校3年生には佐々木主浩(横浜大洋)、佐々岡真司(広島)、葛西稔(阪神)という“大豊作”の1989年のドラ1が眠っていた。他にも野田浩司(1987年阪神1位)や河本育之(1991年ロッテ2位)などを送り出しており、『KK世代』自体は豊作だった。