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大学野球PRESSBACK NUMBER
28年前“ドラフト候補”だった東大野球部4番…プロ野球を選ばず大人になって何になった?「2学年上の東大野球部主将も就職した銀行に…」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byJIJI PRESS
posted2022/09/21 11:03
今年東大からプロ志望届を提出したエース・井澤駿介(右)と俊足外野手・阿久津怜生。今から28年前、ドラフト候補として複数のプロ野球スカウトから注目された東大4番がいた
「私が就活をしていた頃、興銀の総合職の採用数は70人弱。他行と比べると非常に少ないですが、行員同士の顔が見える規模感なのが自分にとっては良かったです。また、他の銀行にはない形で社会の役に立てることも魅力でした。就活の時期はちょうどリーグ戦と重なるのですが、興銀の人事部は大学野球をやっている私の事情を汲んでくれました。学生を信頼して向き合ってくれる印象を強く感じ、『この組織なら自分に合っている』と思ったのを覚えています」
他業界も幅広くOBを訪問するなどしていたが、金融を通じた社会貢献に面白みを感じ、最終的に興銀への進路を決めたという。
「次はどこの銀行か…」みずほ銀行の発足
しかし、当時の金融業界は、バブル崩壊の影響が顕在化し、いよいよ深刻な危機に陥っていた時期だ。1996年には住専7社が破綻に追い込まれ、1997年には都銀の一角である北海道拓殖銀行も続く。そしてついに1998年、興銀と同じビジネスモデルだった日本長期信用銀行と日本債券信用銀行にも大波がおよんだ。「次はどこの銀行か」とささやかれるなかの1999年、興銀は第一勧業銀行、富士銀行との事業統合を発表し、2002年にみずほ銀行が発足している。
かつての銀行業界は大蔵省や日本銀行に守られた護送船団方式で、過酷な競争とは無縁のビジネスに安住してきたが、第2次橋本内閣は、1996年に「金融ビッグバン」を提唱。自由で公正でグローバルな金融市場の確立に向けた改革が始まる。バブル崩壊の痛手もあいまって、各銀行は統合によるスケールメリットを狙って動き出すのである。
こうした激動の銀行再編の時期に現場にいたにもかかわらず、じつは若き日の片山に悲壮感はまったくなかった。
「第一銀行、富士銀行との統合の話を聞いたときは、金融業界全体で銀行の数がどんどん収斂していった時期でしたし、この合流もひとつの時代の節目だと感じていました。当時は上司と先輩に恵まれて、自分たちのチームは日本一だという自負を持って業務に取り組んでいました。自分としては、我々が日本で一番の金融機関にならなきゃいけないと決意を新たにしました」
欧州みずほ銀行で副社長に
統合が発表された際、片山が在籍していたのは、市場部門。マーケットで資金を運用する部門であり、片山は外国為替やデリバティブなどを受け持つセクションで活躍していた。どこの金融機関に移ってもつぶしの利くスキルを持っていたとも言えるが、とはいえ、バブル崩壊後の銀行業界全体が寒風にさらされる場面も少なくなかったはずだ。そのなかで前向きなメンタルを持ち続けられたのは、東大野球部時代の経験のおかげだろう。