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《羽生結弦8歳、天才スケーターの原点》「宝石のような少年」「ユヅルと過ごした時間は私の肥やし」名伯楽が感謝した理由 

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城島充

城島充Mitsuru Jojima

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photograph bySunao Noto/JMPA

posted2022/07/22 11:02

《羽生結弦8歳、天才スケーターの原点》「宝石のような少年」「ユヅルと過ごした時間は私の肥やし」名伯楽が感謝した理由<Number Web> photograph by Sunao Noto/JMPA

北京五輪、練習中の羽生結弦。彼が8歳の頃から師事した名伯楽の感謝とは?

ランビエールが仙台にやってきたときの記憶

 同じ仙台の勝山スケートリンクに拠点を移すと、週末に神奈川へ通って都築の指導を受けるハードな練習環境が中学卒業まで続いた。仙台で羽生を指導することになった松田達義は、逆境のなかで芽生えた羽生の自我の強さと身近で接した一人である。

「とにかく負けず嫌いでした。トリプルを覚えかけの段階になると、みんな体力のなさに苦しむのですが、結弦の場合はその段階にたどり着くのが人より早かったから、よけいに体力の壁にぶつかってしまう。一つ上とか二つ上の選手がきれいに跳んでいるのを見て、悔しかったのでしょう。私に隠れてトリプルアクセルの練習をしたりしてましたよ」

 松田が鮮明に覚えているのは、2006年トリノ五輪で銀メダルを獲得したステファン・ランビエールが仙台にやってきたときである。

「僕の方がうまい」

 中学生の羽生はそんな言葉をはくと、銀メダリストの前で何度もスピンを繰り返した。

「自分に暗示をかけて『僕はできる。大丈夫だ』と言い聞かせていました」と松田は振り返るが、その強気でストイックな姿勢が、周囲から浮き上がることはなかったという。

「世界レベルで活躍する選手は、芸術家のように気難しい一面を持っている人が多いのですが、結弦はそういうものをまったく感じさせない少年でした」

結弦はもう、以前のように滑れないかもしれない

 フィギュアは感性と肉体をうまくコネクトし、独自の世界観を表現する競技である。もし、特別な経験によって感性が磨かれるなら、苦難に満ちた経験も血肉になるのだろうか。そんな仮説を提示できるのも、後の彼が直面する苛烈な現実を私たちが知るからである。

「練習場所がありません。もう一度、先生のところでお世話になれないでしょうか」

 東神奈川のリンクで指導していた都築のもとへ羽生の母親から連絡があったのは2011年3月、東日本大震災から2週間が過ぎたころだった。

【次ページ】 震災で多くの命が奪われたことに胸を痛めたはずです

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