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「サボリカって呼ばれてました(笑)」本郷理華が振り返る、落ちこぼれの私がGPシリーズで優勝しちゃうまで
posted2022/07/23 11:00
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
Shigeki Yamamoto
引退から1年が経ったいま、自らを「落ちこぼれ」と振り返る幼少期や、スイッチが切り替わった出来事、GPロシア杯の優勝秘話について聞いた(全3回の1回目/#2、#3へ続く)。
落ちこぼれ“サボリカ”と呼ばれていた小学生時代
――すでに20年に及ぶ長いスケート人生ですが、初めてリンクに立った日の記憶はありますか?
本郷理華さん(以降、本郷) それが全く無くて、スケートをやりたいと言った記憶もないんです。スケートの先生だった母に連れられて、小さいときからリンクに通っていたようで。2歳くらいからスケート靴を履いてリンクに立っていたらしいです。身体がデカくて足も大きかったから、靴のサイズも合ったんでしょうね(笑)。物心がついた頃には、すでに滑っている感じです。
――同郷の荒川静香さんら名選手を育てた長久保裕コーチに師事されましたが、トップレベルで戦えるポテンシャルはすでに感じていましたか?
本郷 全然ありませんでした。シニアに上がってからも、なかったかもしれないです。ノービス時代は同世代の子たちはトリプルが跳べているのに、私だけ跳べない時期がすごく長くて……。9歳で長久保先生と一緒に名古屋に移住したときも、ダブルアクセルすら跳べない状態で、跳べるようになるまで1年くらいかかりました。
――同世代で飛び抜けているよりかは、むしろ遅れているくらいの立ち位置だったのですね。
本郷 そうなんです。小学校5、6年でもまだトリプルは完璧に跳べていなくて、年下の子たちがどんどん追い越していくんですよね。
私は子どもだから深くは考えていなかったけど、せっかく名古屋まで来たのに、私がなかなか上手くならないから、母には焦る気持ちもあったと思います。ましてや国際試合に出るなんて本当に思っていなかったというか……いつか出られるのかな?って感じでした。
――スケートが好きという気持ちのほうが大きかったのでしょうか?
本郷 みんなでワイワイしながら滑って、ジャンプ対決するのが楽しかったですね。ただ上手になるスピードがすごく遅くて、先生にも「言うこと聞いてないだろ」って怒られたり。性格がこんな感じでへなちょこでヘラヘラしてるから、ずっと怒られてました(笑)。
――ずっと怒られていたとは、意外です。
本郷 めっちゃ怒られましたよ。すぐ先生の横でフーって休憩するから「サボリカ」って呼ばれてました(笑)。「休憩する暇あったら練習しろ!」ってまた怒られて……。
9歳名古屋に単身移住「『いくいくー』みたいな軽い気持ち」
――それでもスケートのために9歳で親元を離れて名古屋へと移り住むのは相当な覚悟だったと思います。