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《羽生結弦8歳、天才スケーターの原点》「宝石のような少年」「ユヅルと過ごした時間は私の肥やし」名伯楽が感謝した理由
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2022/07/22 11:02
北京五輪、練習中の羽生結弦。彼が8歳の頃から師事した名伯楽の感謝とは?
「結弦はもう、以前のように滑れないかもしれない」
東神奈川のリンクで教え子と再会したとき、都築の脳裏をよぎったのはそんな思いだった。被災後の避難生活で筋力が落ちていたのに加え、リンクに立つ姿にもかつての美しさはなく、どことなく怖がっているように思われたからだ。仙台の街が震度6を超える激しい揺れに襲われたとき、羽生はリンクで練習をしていた。
震災で多くの命が奪われたことに胸を痛めたはずです
「感受性が強いがゆえに、震災で多くの命が奪われたことに胸を痛めたはずです。スケートの技術と肉体だけではなく、精神も極限まで追いつめられていました。いろんなリンクから声をかけられたにもかかわらず、私のもとへ来てくれたのはうれしかったですし、できる限りのサポートをしようと思いました」
羽生はビジネスホテルで寝泊まりしながら、一般客のいない午前6時と午後8時から1時間ずつ練習に打ち込んだ。都築が感銘を受けたのは、傷ついたはずの16歳の少年が、週末は全国各地を回ってチャリティを含めたアイスショーに積極的に出演したことである。オフシーズンが終わる10月までに、出場したアィスショーは60公演にものぼった。
先生、僕のやったことはみんなに感謝されているかな?
「今でこそ金メダリストですが、当時は選手としても先が見えない状態でした。本人が滑れる喜びと感謝の気持ちを伝えたいと思っていても、周囲が受け入れてくれるかどうかわからない。そんななかでチャリティ活動を続けるのは、よほど強い思いがないとできません。自分になにができるのか。16歳の少年がそのことを突きつめて考えてリンクに立ち続けたことに感動しました」
自らを高みに導くためだけではなく、自分の存在が誰かの力になれないだろうか。その感受性が内面から外に対しても向けられたとき、羽生結弦というスケーターはそれまでとは違う風景を見たのかもしれない。