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《羽生結弦8歳、天才スケーターの原点》「宝石のような少年」「ユヅルと過ごした時間は私の肥やし」名伯楽が感謝した理由
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2022/07/22 11:02
北京五輪、練習中の羽生結弦。彼が8歳の頃から師事した名伯楽の感謝とは?
都築が仙台にやってきたとき、羽生は初級から8級まである指導コースの一番下のクラスにいた。だが、都築に才能を見いだされた少年は一日2時間、厳しさで知られた名コーチのマンツーマン指導を受けることになる。
結弦は丸裸でぶつかってきたし、私も
「両親は子どもを成長させる手段としてフィギュアを選ばれたと思いますが、私がどれだけ厳しく結弦を叱責しても、すべてを理解してくださいました。親にはいろんな選択肢があって、子どもには好き嫌いがある。うまくいくケースは少ないのですが、結弦も両親を信頼していたし、そのようにしっかり育てられた家庭環境も大きかったと思います。結弦は丸裸でぶつかってきたし、私も自分の技術を正確に伝えることができた」
当時の羽生は、体の大きな年上の選手たちにからかわれるとムキになって反抗する勝ち気な一面もあったが、演技に入ると、静と動の細やかな感情の綾を見事に表現した。同じリンクで練習していた本田武史も、痩身の小学生の動きに目を奪われたことがある。
「一言でいえば、華があるんです。大人になると、ほとんどの選手はオペラを観たり音楽を聴いたりして表現力を養おうとしますが、そういうのとは質が違う。音に乗せて演技をする能力は持って生まれたものが必要で、彼にはその才能があったとしか思えません」
君は特別な感受性を身につけているのだから
仙台の天才少年は小学4年のときに全日本ノービスで優勝したが、その直後の2004年12月、暗雲が立ちこめる。コナミスポーツクラブ泉が、経営難のために開鎖されたのだ。都築は仙台を離れ、東神奈川にある神奈川スケートリンクに拠点を移した。男子フィギュア史に一時代を築いた老境の指導者は「ずっと手元で育てたい宝石のような少年」に、こんな言葉を伝えたことを覚えている。
「君は特別な感受性を身につけているのだから、将来はアスリートとして成功するだけじゃなく、フィギュアを通じて芸術家と呼ばれる存在になってほしい」
ホームリンクの閉鎖、恩師との濃密な時間を失ったことは、羽生が向き合う初めての試練だったかもしれない。