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「八百長は絶対許さない」石原慎太郎が極度に嫌ったこと「あんな相撲がどうして国技なのか」相撲協会と告訴寸前までいったトラブル 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/03/12 17:05

「八百長は絶対許さない」石原慎太郎が極度に嫌ったこと「あんな相撲がどうして国技なのか」相撲協会と告訴寸前までいったトラブル<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

今年2月1日、89歳で亡くなった石原慎太郎。1956年に『太陽の季節』で芥川賞受賞、東京都知事や運輸大臣などを歴任。一時期、全日本キックボクシング協会のコミッショナーを務めた

 1976年にキックボクシング業界から撤退した協同企画だったが、石原自身はコミッショナーの座に留まり続けた。参議院から衆議院にくら替えした後もそれは変わらず、1980年には新しく発足した興行会社「オールジャパンプロモーション」(赤土公男社長)の名誉会長に推戴されてもいる。

 その後、全日本キックボクシング協会が、離合集散の末に「全日本マーシャルアーツ連盟」に改称すると、コミッショナーを退任。同じ自民党衆議院議員で、党内のタカ派集団「青嵐会」の朋輩でもあった中山正暉がその座に座っている。

 その後は格闘技とのオフィシャルな関係は途絶えた。東京都知事となっていた2001年にK‐1の東京ドーム大会に姿を見せたのと、2003年にベースボールマガジン社が刊行した「キックボクシング入門」なるムック本で巻頭インタビューを飾っている程度である。

 ここまで、石原慎太郎の89年の長い人生を振り返ってみて、彼にとって格闘技は欠くことの出来ないものと改めて認識した。その関わりは単なる好事家の域を超えたものでもあった。

 彼自身の評価に賛否両論あるのは今更語るまでもない。看過できない言動は枚挙に暇がなく、そのことは大いに検証されてしかるべきと思う。なお、筆者は石原慎太郎の都民葬には反対である。公費を使って行うことに違和感を覚える。

 ただし、こと格闘技に関して言うならば、功労者であったのは、これまでの軌跡を辿って疑いようがない。そのことは、ここに記しておきたい。

 そして最後に、この場を借りて、故人の冥福を心より祈念するものである。(文中敬称略)              

<#1、#2から続く>

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「石原慎太郎が書いたボクシングの試合は実在した?」のミステリーを追う…14歳石原少年はあの“伝説のボクサー”に夢中になった(らしい)

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