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25歳だった石原慎太郎が新興ヤクザに謝罪した日「とにかくとにかく、申し訳ありません」ボクシング界を怒らせた“石原監督”の映画とは?
posted2022/03/12 17:04
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
BUNGEISHUNJU
《竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持と同じようなものがあった。
それには、リングで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混った快感に通じるものが確かにあった》
「太陽の季節」冒頭の一文である。
主人公は高校の拳闘部に所属する津川竜哉。感情に任せて行動する彼の無軌道な日常が物語の要旨ではあるが、導入部分において拳闘(ボクシング)は重要な示唆を与えている。
中学校3年生だった1947年夏、後楽園球場で初めてボクシングを観戦した石原慎太郎は、思春期の一衝動にあるように夢中になった。新聞記事で結果を追うのはもちろん、可能な限り会場に足を運び、ボクシングを題材とした映画まで鑑賞している。
八百長を持ち掛けられた場末のロートルボクサーと、彼を取り巻く裏社会の有象無象、妻との新生活を描いたロバート・ライアン主演『罠』(監督・ロバート・ワイズ/1949年作)や、ひょんなことからボクサーになった男が、苦難に悩まされながら奮励努力するカーク・ダグラス主演『チャンピオン』(監督・マーク・ロブソン/1949年)などである。
ついには、結婚前の典子夫人との初デートも横浜でのボクシング観戦だったという。ボクシングが活況を呈していた時代のこととはいえ、相当な傾倒ぶりに驚く。
一橋大1年生にとっての「日本人初の世界王者」
また、「太陽の季節」にはこんな一文もある。
《未だ朝靄のかかった海岸で、赤い上下のトレーニング姿に、白いタオルを巻いて、走りながら時折シャドウしている男を見たのだ。それはハワイから来日していたある級の世界選手権を持つ選手であった。峠を越した言わば老年選手の彼が、一週間後のタイトルマッチで、上り坂の日本の挑戦者に敗れて王座から消えて行かなくてならぬのは、一般の予想でも殆ど確定していたのだ》
紛れもなく、世界フライ級王者のダド・マリノを指している。白井義男がハワイから来日したマリノを破って日本人初の世界王者に輝いたのが、1952年5月19日。このとき石原慎太郎は一橋大学の1年生で、「太陽の季節」を発表する3年前のことだった。