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父親が心配「おい、早稲田の看板学部じゃないか。大丈夫か?」“私大最難関”早大政経学部で箱根駅伝を3回走ったランナー「“スポーツ推薦”ではない戦略」
posted2025/04/04 11:06

2023年1月、伊福陽太(当時2年)は自身初の箱根駅伝を走る。早大政治経済学部の箱根ランナーは久しく出ていなかった
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
JIJI PRESS
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箱根駅伝2025。
3年連続で早稲田大学の8区を走った伊福陽太君は――私の早大での講義、金曜2限の「スポーツジャーナリズム論 秋・冬」のTA、ティーチング・アシスタントを務めてくれた。
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春・夏クォーターは受講生として出席してくれていたから、1年間、開講している時期は毎週顔を合わせていた。そうなると、思い入れも深くなる。
2024年は最終学年。5月に行われた関東インカレのハーフマラソンで5位入賞してから、体調を崩したとのことで心配した時期もあったが、秋になってからは全日本大学駅伝、そして箱根へのプロセスを見守ることが出来た。
「衝撃だった、若林宏樹“フツーの運動靴”」
早稲田では3度、「W」のユニフォームを着て箱根駅伝を走った伊福君だが、京都・洛南高校時代は一度も12月の都大路、全国高校駅伝を走っていない。
「洛南、みんな強かったです。1年先輩に三浦龍司さん(順天堂大→SUBARU)がいて、赤星さん(雄斗・駒大→大塚製薬)、そして早稲田に進んだ諸冨(湧)さんがいました。同級生には青山学院の若林宏樹、中大主将の佐野拓実、順天堂大の主将の服部壮馬。そして1学年下に駒大の佐藤圭汰、中大の溜池一太、2学年下に去年の日本選手権の3000m障害で2位に入った中大の柴田大地がいて、こうやって名前を並べると、なかなかすごいですね」
各大学の中心選手になった錚々たる面々だが、中でも飛び抜けていたのは三浦だったという。
「三浦さんは、高校3年の時に3000m障害で日本選手権の決勝まで進んでましたからね。練習の段階から、持っているものが違うことを感じていました」
同級生で話すことが多かったのは、「若の神」こと若林だった。