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「石原慎太郎が書いたボクシングの試合は実在した?」のミステリーを追う…14歳石原少年はあの“伝説のボクサー”に夢中になった(らしい)
posted2022/03/12 17:03
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
BUNGEISHUNJU
芥川賞作家で東京都知事や運輸大臣などを歴任した石原慎太郎が、2月1日、都内の自宅で亡くなった。享年89。
他界してから現在まで多くの「石原慎太郎論」を目にした。芥川賞作品『太陽の季節』を起点とする文学論をはじめ、実弟・石原裕次郎を世に出した映画製作、青嵐会に代表されるタカ派的思想、東京都知事としての功罪、数々の失言や差別発言……。賛否両論、支持不支持あろうが、異なる複数のジャンルを横断した、あらゆる意味において突出した存在だったことは、まぎれもない。
おびただしい数の評説を目にしながら、一つだけ論じられていないものに気付いた。格闘技である。意外なようだが、石原慎太郎と格闘技は切っても切り離せない。考えてみれば『太陽の季節』も、主人公は高校のボクシング部に在籍する設定で、部の仲間たちとの放蕩三昧が物語の根幹を成している。宝田明の主演で映画にもなった『接吻泥棒』(監督・川島雄三/1960年作)に至っては、ボクシング王者と四人の女性の奔放な恋愛模様を描いている。エッセイなどを読むと、彼が50年代のボクシング界と密接な関係にあったことも判る。
見逃せないのは、彼の問題発言の源流をさかのぼると、スポーツ界や格闘技界の諸事が発端となってもいることだ。これまで禁句とされてきたことに平然と言及し、波風を立たせ、物議を醸し、世論を喚起しているのだ。
筆者が一昨年に上梓した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』にも石原慎太郎は登場する。それも主人公の野口修と敵対し、沢村忠に批判的な立場で現れるという、意外と重要な役どころである。特筆すべきはボクシングのみならず、彼はキックボクシングとも密接な関係を持っていたことだ。
石原慎太郎にとって格闘技とは何だったのか。格闘技は作風にどういった影響を及ぼしたのか。「石原慎太郎と格闘技」というテーマはすなわち「沢村忠に真空を飛ばせまいとした男/昭和の格闘技マニア・石原慎太郎評伝」に改題されるかもしれない。前・中・後篇と、お付き合いを願いたい。
石原少年は「ボクシングを見にいく勇気などなかった」
1932年、神戸市に生まれた石原慎太郎が、父親の赴任先である小樽をへて逗子に移り住んだのは小学校4年生の春。そこで初めて、町中に貼られている拳闘(ボクシング)興行の粗末なポスターを見たと書く。