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「指導にも影響している?」エリート選手から未経験者まで…学生時代の監督たちは箱根駅伝をどう戦ったか 

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酒井政人

酒井政人Masato Sakai

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photograph byJIJI PRESS/Yuki Suenaga

posted2022/01/01 17:06

「指導にも影響している?」エリート選手から未経験者まで…学生時代の監督たちは箱根駅伝をどう戦ったか<Number Web> photograph by JIJI PRESS/Yuki Suenaga

駿河台大学監督の徳本一善は法大OB。それぞれの大学の指揮官たちは学生時代に箱根駅伝で“夢”を追いかけていた

 駒大OBの大八木監督は社会人生活を経て、24歳のときに夜間部に入学。箱根駅伝は3年連続で出場して、1年時は5区、3年時は2区で区間賞を獲得している。4年時は年齢制限(当時は27歳以下)のため出場できず、伴走のジープに乗り込み、選手たちを叱咤激励している。

 大八木監督は「勤労学生」として川崎市役所に勤務(朝8時半~16時半)しながら夜は大学に通った。その“隙間時間”にトレーニングをこなして結果を残している。

「朝練習はやったりやらなかったりでしたけど、昼休みにやっていましたね。12時から8kmくらい走って、すぐに昼食を食べて、13時から仕事をしていました。夕方は授業までの間に1時間半くらいは練習できたんです。平日はスピード練習が中心で仕事のない土日に時間のかかる距離走。そういうパターンを自分で確立してやっていました。練習後は、バイクで丸子橋を渡って大学までいくと20分もかからない。とにかく時間が限られているので、自分で細かくスケジュールを立ててやっていました。昔から逆算しながら自分で計画を立てて動いていたので、その経験が今の指導にも生きていますね。スケジュールがパンッと当たると、結果も出るんです」(大八木監督)

 駒大は大八木監督が指揮を執るようになり、7度の総合優勝に輝いているが、2区の区間賞は大八木監督以降出ていない。

本番に“ゴールテープ係”だった者も

 東洋大OBの酒井監督は1~3年時に出場(3、7、1区)するも区間順位はともに2桁台。主将を務めた4年時は故障明けでメンバーから外れたが、チームは9位に入り、前年23秒差で逃したシード権(当時は9位まで)を獲得している。東洋大は主将が箱根駅伝を走れないというジンクスが5年も続いた時期があった。酒井監督自身がその経験をしていることを考えると、主将をメンバーから外す決断をしたときのつらさが想像できるだろう。

 早大OBの相楽監督は1年時に山上りの5区に抜擢されて区間11位。3年時は山下りの6区を担い区間8位と健闘して、チームの総合3位に貢献した。今大会の指揮官のなかで唯一、5区と6区を経験している選手だ。そのキャリアはコーチ時代に発揮される。渡辺康幸駅伝監督(現・住友電工監督)から「山区間」を全面的に託され、結果を残してきた。しかし、駅伝監督に昇格すると、山はなぜか苦戦中。特に5区は直近3大会で下位(区間19位、15位、17位)に沈んでいる。

 日大OBの山本監督は2年時と3年時に2区を走っているが、実力を考えると箱根駅伝とうまくマッチングしなかった選手だ。1年時は予選会で個人2位(日本人トップ)の快走を見せたがチームは敗退。本番では補助員としてゴールテープを持つ役割を担った。4年時は故障の影響で出場することができなかった。

【次ページ】 箱根未経験者の原晋監督「青学大自体もよく知らなかった」

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