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10代で“スケート界の伝説”になった日本人兄弟「安床ブラザーズ」を知っていますか?《2人で世界タイトル100超》
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph byUNIPHOTO PRESS
posted2021/11/13 17:00
昨今、日本でも特に注目されるようになった“エクストリームスポーツ”。17年前、このジャンルで全米を席巻した日本人兄弟がいる
四十住も頼る「安床プロデュースのスケートパーク」
その栄人は現在、父親が設立したこのスケートパークで、アスリートのみならず、レッスンに来る子どもたちにインラインスケートを教えている。雨天でも出来るようにと屋根に覆われたパーク内には、滑り台のような傾斜や、半球状のくぼ地などのコースがひしめきあう。その中でもひときわ威容を誇るのが、高さ4メートルに至る競技用ハーフパイプだ。
世界競技会の基準を満たしているハーフパイプがある場所は、日本ではまだ少ないという。東京オリンピックのスケートボード金メダリスト、四十住さくらが和歌山県の自宅から片道3時間かけて“g”スケートパークに通っていた理由も、このハーフパイプにあった。
なお、「ハーフパイプ」と聞けば半円を連想するかもしれないが、実際には両サイドの壁は垂直に屹立し、その底面が緩やかな球面になっているのみ。パイプのヘリから下を見下ろさせてもらったが、よほど身を乗り出さないと壁面は視界に入らない。体感としては垂直ではなく、内側にえぐれているようだ。
「子どもの頃からやっていないと、怖くて滑り下りられないですね……」
恐れを思わず声に漏らすと、「そんなことないですよ、正しい段階を踏んで練習すれば、大人でも出来るようになります」と、栄人の優しい言葉が返ってきた。
かく言う栄人がハーフパイプと出会ったのは、まだ「ハーフパイプ」という言葉の意味すら分からない、幼少期だったという。履いていたスケートも、後に世界へ羽ばたくインラインではなく、ローラースケート。その原点は、“ローラーディスコ”のプロパフォーマーである、父親の由紀夫にあった。
なぜ90年代初頭に世界に挑戦できたのか?
ローラースケートブーム華やかなりし80年代に、ローラースケートを履いたダンサーとして活躍した由紀夫が、本場アメリカで目にしたハーフパイプを自前で作ったのは、栄人たちが生まれる前のこと。
やがてアメリカでは、インラインスケートが流行り、1990年頃には日本の市場にも入りはじめる。